第二サムエル記

サムエル記
イスラエルの民は、エジプト脱出、荒野の旅、約束の地に入国の後、それぞれの部族単位で行動し、その時々に士師が立てられました。そのようなイスラエルの民に大きな変化が起きたことが記録されているのがサムエル記です。ここから王制が始まります。そのことは、イスラエルを導いてこられた神を王とすることを拒むことでもありましたが、神様はそのことを許されました。この書物は、最後の士師であり、最初の預言者ともいえるサムエルが記録したものが後にまとめられたと考えられます。その概要は、サムエルの誕生、王制の始まり、初代サウル王の治世までが「第一」、そしてダビデの活動を中心に、ダビデ王の治世、ソロモン王の即位までが「第二」に記録されています。私たちは、この書物を通して、真の王が神であること、またダビデ王の系図に生まれる救い主イエス様、そして神に従うということ、神のことばにどのように応答すべきかを思いを巡らしてまいりましょう。

第二サムエル記 1章
ダビデはツィケラグに戻り(Ⅰサムエル29章)、町を襲ったアマレク人を討ち、帰ると(Ⅰサム30章)、サウルとヨナタンたちの死(Ⅰサム31章)が知らされます。報告をもたらしたアマレク人の男は自分がサウルにとどめを刺し、証拠の品を持ってきたと褒賞狙いの虚偽を告げます(1-10)。ダビデたちは同胞の死を悼み、その報告をもたらした若者を討ちました。ダビデ(Ⅰサム24:6、26:9)やサウルの道具持ちの姿(第一サム31:4)を思えば、神の選びを恐れず、褒賞欲しさに虚偽を語る彼の態度は死に値しました(11-16)。ダビデは哀悼の歌を作り、それは歌い継がれ、ヤシャルの書(参考ヨシュア10:13)と言われる詩歌集に加えられたようです。ダビデはサウル王と親友ヨナタンの栄誉と彼らを失った悲しみを歌いました(17-28)。ダビデは最後まで油注がれたサウル王を敬い、友ヨナタンへの誠実を尽くしました。ダビデは試練の中で整えられていきました。私たちはどうでしょう。

第二サムエル記 2章
サウル王の死を受け、ダビデはまず主に伺いを立て、ヘブロンにのぼり、そこでユダの王とされます(1-4)。タビデはサウル王を丁重に葬ったヤベシュ・ギルアデの民を主の御名で祝福し、自分への真実も願いました(5-7)。サウルの軍の長アブネルはサウルの四男イシュ・ボシェテを、マハナイムで全イスラエルの王と宣言します(8-11)。アブネル率いるイスラエル軍とダビデ軍の間で代表選(12-16)が戦いに発展し、打ち負かされたアブネルは逃亡します。ダビデの軍のヨアブの兄弟アサエルはアブネルを執拗に追いかけ、逆に打ち殺されました(17-23)。アブネルは停戦をヨアブに提案し、それぞれが兵を引き挙げました(24-28)。アブネルはマハナイムに戻り、ヨアブたちはアサエルをベツレヘムに葬り、そしてヘブロンに戻りました(29-32)。同胞同士が争い、どちらもそれぞれの損害がでました。同胞、兄弟同士の争いは痛みです。私たちの集まりはどうでしょうか。

第二サムエル記 3章
ダビデ家とサウルの家の争いは続き、ダビデ家の力が増します。ダビデは七年半ヘブロンで治め、違う妻たちから子どもたちが生まれました(1-5)。サウル家では、アブネルが力を持ち、サウルの子イシュ・ボシェテは力を失っていきました(6-11)。アブネルはダビデに使者を遣わし、全イスラエルの王権をダビデに移すことを約束し、ダビデの妻ミカルを連れてくることを条件に謁見を許されます(12-16)。ダビデと会見を無事に終えたアブネルは保証を得て帰路につきますが(17-21)、弟の恨みと自分立場を危うくすること恐れたヨアブによって殺されます(22-30)。これにより交渉が損なわれる危険がある中で、ダビデはアブネルの死について国を挙げて悼み、それにより全イスラエルは納得しました(31-39)。人間的な思惑と権力闘争の中で混乱が続きます。思うように事は進まない中にあっても、主こそ真の王であることを覚えて、このお方に委ねて歩んで参りましょう。

第二サムエル記 4章
アブネルが殺されたことを聞き、イシュ・ボシェテは完全に気力を失い、全イスラエルは動揺しました(1-4)。サウル家には、ダビデの友ヨナタンの子メフィボシェテが残されていましたが、彼は足が不自由な身となっていました(5)。さて、ある昼の暑い時間、ベニヤミン族に属するものとされていたベエロテ人レカブとバアナが小麦の運搬を装い、昼寝をしていたイシュ・ボシェテを殺害し、ヨルダン渓谷に沿ったアラバの道を逃亡しました(2-7)。彼らはその首をダビデにもっていけば褒賞と地位を得られると思ったのでしょう。しかし、かつてサウルの死を報告したアマレク人のように(Ⅱサム1章)、二人はその血の責任を問われ、死刑に処されました。イシュ・ボシェテはアブネルとともにヘブロンに丁重に葬られました(8-12)。ダビデが事を起こすことなく、王位確立に向けてことが進んでいきました。主は生きておられ、ご自身の計画は確実に進められます。

第二サムエル記 5章
ついにダビデは全イスラエルの王となります(1-5)。ダビデは交通の要衝であり、三方を谷に囲まれた要害エルサレムをエブス人から攻め取り、首都としてダビデの町を築きました。ダビデは主にあってますます大いなるものとなります(6-10)。北方の地中海に面するツロの王ヒラムはダビデに友好の品々を送ります。そこにも主の恵みがあったことをダビデは知らされます(11-12)。ダビデは多くの妻たちによって子どもを得ますが、そのことは後に王国に影を落とします(13-16)。ダビデの即位を知り、ペリシテ人はダビデに戦いを挑みますが、ダビデは主に求め、最初は正面から、次に背後からペリシテ軍を打ちました。これらの勝利は、まさしく主ご自身が先立っていかれたゆえの勝利でした(17-25)。イスラエルの支配はダビデの力によったのではありません。主がともにおられ、主が導かれ、主が先立ってくださったゆえの勝利でした。このことは私たちの人生でも同じです。

第二サムエル記 6章
ダビデは神の箱をエルサレムに運び上るために、精鋭三万人を連れ、荷車にのせ、喜びつつ出発しました(1-5)。ところがナコンの打ち場まで来た時、牛がよろめき、神の箱が倒れそうになったためウザが手をのばしおさえますが、ウザは打たれて死にます。ダビデは非常に動揺し、主の箱をオベデ・エドムの家に運び込みます。主の箱はレビ人が担ぐべきもので(民4章)、触れるべきものではありませんでした(6-11)。三か月後、再び神の箱を運び上る緊張の中、ダビデは六歩進むことができたことを喜び、いけにえをささげました。ついにダビデは主の箱とともにエルサレムに入城し、その喜びを全身で表しました。ところが彼の妻ミカルはその姿を蔑みました。ダビデはいけにえをささげ、その喜びを民と分かち合いました(12-19)。ダビデの姿を妻ミカルは蔑みましたが、ダビデは主の前で喜び踊ると答えました(20-23)。私たちは、聖なるお方の前に立つことを忘れてはなりません。

第二サムエル記 7章
ダビデは幕屋にあった主の臨在を表す神の箱のために主の家を建てることを願います(1-3)。しかし主は預言者ナタンを通して、わたしは幕屋においてイスラエルの民とともに歩み、住む家を求めたことはない(4-7)。むしろ、わたしが、あなたを大いなるものにし、あなたのために家を建てる。主がダビデの王国を確立されると語れます。そしてその世継ぎが、わたしの名のためにとこしえの王国を堅く立てると語られます(8-17)。ダビデは小さき者に注がれた祝福と恵みの約束を前に感謝しかなく、祈りに導かれます。神がイスラエルを導き、エジプトや異邦の民、偶像の神々から贖い出し、神の民として下さった恵みを回顧し、主の御名を賛美し、栄光を帰します。そしてその約束の成就を願い、その約束のゆえに、祈る勇気を得たと語ります。主のことばはまことであると応答します(18-29)。この約束は、究極的にはイエス様によって完成しました。王なるキリストを覚えましょう。

第二サムエル記 8章
ダビデの治世における近隣諸国に対する勝利の記録です。西はペリシテの町を奪い、さらにヨルダン川を挟んで南東のモアブを討ち、その一部を捕虜としました(1-2)。さらに北方のツォバの王ハダデエゼルが攻めて来た時には、その助けに入ったダマスコのアラムと合わせて討ち、多くの戦利品をエルサレムに持ち帰りました(3―8)。アラムと敵対関係にあった北方のハマテの王トイは息子ヨラムを遣わし、貢物をもってきました。また南のエドムも征服しました。ダビデは戦利品や貢物を特別に取り分け、主の宮の建設に備えました(9―14)。ダビデは、自分の正義ではなく、神の正義によって国を治めました。また、ともに国を治めた重臣たちの名も記録されています(15-18)。この章には、二度に渡って主によって勝利が与えられたと確認されています。主にあってのダビデの歩みでした。私たち一人一人の歩みも、私のではなく、主にある私の歩みであることを覚えて歩みましょう。

第二サムエル記 9章
王国が確立し、ダビデは、サウル王の息子ヨナタンとの約束(Ⅰサム20:15)のゆえに、サウル家の生き残りを探し、ようやく真実を尽くすことになります。ダビデはサウル家に仕えていたツィバというしもべを通し、ヨナタンの息子、足の不自由なメフィボシェテ(別名メリブ・バアル、Ⅰ歴代8:34)のことを聞きます。彼にベニヤミン族の領地にあるサウル家の私有地を返し、恵みを施すことを約束します(1-8)。ダビデはツィバにサウル家の土地を管理するように命じ、メフィボシェテはダビデと共にエルサレムの王宮に住むことになりました。その子ミカによってヨナタンの血筋は受け継がれていきます(Ⅰ歴代8:34-40)。ダビデにはサウル家の血筋を身近に置くという計算もあったのかもしれませんが、ヨナタンとの約束を守りました(9-13)。約束を果たし、受けた恩に報い、真実を尽くす生き方をしているでしょうか。誰かの誠実さのゆえに、今受けている恵みがあるでしょうか。

第二サムエル記 10章
ヨルダン川東のアンモン人の王ナハシュが死に、その子ハヌンが王となりました。ダビデはナハシュとの友好関係のゆえにその死を悔やみ使者を遣わします。ところが、ハヌンとその家来たちはそれを偵察と考え、使者に恥をかかせて送り返しました(1-5)。アンモン人は北方のアラムの諸国から傭兵を雇い、イスラエルを攻撃する準備を進めました(6-8)。イスラエルの軍団長ヨアブは、北のアラム人と東のアンモン人に対抗するため、軍を二つに分け、ヨアブと兄弟アビシャイがそれぞれ指揮しました。ヨアブは主が御目にかなうことをなされると民を奮い立たせます。アラム人はヨアブの前から逃げ、それを見てアンモン人もアビシャイの前から逃げ出しました(9-14)。アラムのハダドエゼルは再度(8章)戦いを挑みますが、軍団長ショバクも打たれ、イスラエルと和を講じざるを得なくなりました(15-19)。力を尽くして策を練り、主が御目にかなうことなされることに委ねましょう。

第二サムエル記 11章
イスラエルは再びアンモン人との戦いに臨みますが、ダビデは共に行かずエルサレムにとどまります(1)。ダビデは部下ウリヤの妻バテ・シェバを宮廷に召し入れ、彼女は子を宿します(2-5)。ダビデはそのことを隠そうと、ウリヤを戦場から連れ戻し、家に帰そうとしますが失敗し、さらに酒に酔わせますが、それもうまくいきませんでした。そこでダビデは、ウリヤに軍団長ヨアブへの手紙をもたせ、彼を戦いの最前線に送り、巧妙に殺害するように命じます(6-15)。ウリヤと一緒に何人かの兵も打たれますが、ダビデは白々しく戦いとはそういうものだから気持ちを強く持つようにと兵士たちを励ましました(16-25)。バテ・シェバは夫の死を悼み悲しみます。ダビデは喪の期間が明けるとすぐに彼女を妻に召し入れます。当然このことは主のみこころを損ないました(26-27)。誰もが罪の誘惑に晒され、罪に罪を重ねる危険があります。今、手放すべき罪はないでしょうか。

第二サムエル記 12章
主はナタンを遣わされ、たとえをもってダビデの罪を示されます。しかしダビデは、自らのことを棚に上げ、「その男は死に値する」と怒りを燃やします(1-6)。ナタンは「あなたがその男です」と語り、ダビデに下る主のさばきを宣告します(7-12)。ダビデは言い訳せず、怒らず、主の前に自らの罪を悔い改めます(詩51)。主はその心をご覧になり、ダビデを赦されます。しかし、その子は死ぬと言われました。ダビデは主のあわれみを求め、回復を祈りますが、主がその子を取り去った時、彼は主を礼拝しました(13-23)。主はダビデと彼の妻となったウリヤの妻バテ・シェバの間にソロモン、またの名をエディデヤ(主に愛された者)を与えられます(24-25)。十一章に続くアンモンとの出来事は、ダビデはラバの町を攻め、分捕りものと捕虜を得ました(26―31)。自分の罪に向きあわない姿。悔い改めに伴う主の豊かな赦しと罪の結果。願わくは、罪を離れて歩むことができるように。

第二サムエル記 13章
ダビデ家に悲劇が続きます。ダビデの妻アヒノアムとの間に生まれた長男アムノンは、異母妹タマルを、友ヨナダブの悪巧みに背中を押され、律法を犯し、力ずくで辱め、さらなる仕打ちで彼女を苦しめました。ダビデは怒りを覚えますが何もせず、タマルの兄、三男アブサロムは激しい憎しみと王位への思いを内に秘めます(1-22)。二年経ったある日、羊の毛の刈り取りの祝いの時、アブサロムは王の子たちを招き、そこでアムノンを殺します。ダビデのもとに、アブサロムによって子どもたちが全員殺されたという知らせが入りますが、アムノンだけが打たれたことをヨナダブが報告します(23-33)。アブサロムはガリラヤ湖の東にあるアラムの国のゲシュルに逃げ、祖父タルマイのもとに三年間身を隠しました。ダビデはアムノンの死を非常に悲しみました(34-39)。預言の成就(12:10)とはいえ罪に罪が重なる悲劇です。問題への対応を誤ることないようにと祈り願います。

第二サムエル記 14章
時に、家族であるゆえに歩み寄ることの難しさがあるかもしれません。ダビデはアブサロムへの複雑な思いを持っていたことでしょう。それを感じたヨアブは一計を案じます(1)。ヨアブはテコアの女を遣わし、相談すると見せかけて、アブサロムへの赦しを持ちかけます(2-17)。ダビデはヨアブの策を見抜き、アブサロムの帰国を認めますが、会うことは許しませんでした(18-24)。アブサロムは非常に魅力的な男でした(25-27)。アブサロムはダビデ王に会えないことに苛立ち、ヨアブを動かして、どうにかダビデ王に謁見しますが、形だけの和解でした。アブサロムは自分の咎に向き合っていないようにも見えます(28-33)。何かが変です。肉親がどうしてこんなに疎遠になったのでしょうか。この後も家督争いは続きます。もし真の悔い改めに導かれ、赦しと和解があったならばと思わされます。私たちは罪の結末を覚え、罪から離れ、罪を悔いて、罪の赦しに生きられるように願います。

第二サムエル記 15章
アブサロムが王位を狙って動き始めます。側近を得、民の心を盗み始めます(1-6)。時を見計らって行動を起こします。かつてユダの首都であったヘブロンに向かうことを願い、用意周到に様々な策を巡らしていきます(7-12)。ダビデが気づいた時には手遅れでした。ダビデはエルサレムを戦火にさらすことを避けるため、逃亡することを選びます。ガテ人イタイたちの忠実さが光ります(13-23)。祭司ツァドクは神の箱を携え、共に行こうとしますが、ダビデは神の箱をツァドクとともにエルサレムに送り返し、主のみこころに委ねます(24-29)。ダビデはアブサロムについたアヒトフェルの助言が打ち砕かれることを祈ります(30-31)。ダビデは、顧問であるフシャイの健康を気遣いつつ、彼をしてアヒトフェルの助言を打ち砕くために、送り出しました(32-37)。失敗も多いダビデでしたが、どんな中にも、主のみこころに委ねつつ行動する姿勢があります。私たちはどうでしょうか。

第二サムエル記 16章
息子アブサロムの謀反によりエルサレムを追われたダビデのもとに、メフィボシェテの従者ツィバが食料を届けます。彼は主人のことを悪く言います。真偽がはっきりしない中で(19:27)、ダビデは約束を与えます(1-4)。エルサレムの北東のバフリムに来た時、サウル一族のシムイは呪いの言葉を叫びます。部下たちは怒りますが、ダビデは主の御手にあると受け止め、主がご覧になって、呪いを幸せに代えて報いてくださるようにと願います(5-14)。一方、アブサロムはエルサレムに入ります。ダビデの友フシャイを疑いますが、フシャイはイスラエルの王に仕えると答え、受け入れられます(15-19)。アブサロムの参謀アヒトフェルは、アブサロムにダビデの側女のもとに入り(12:11)、王となった事を誇示するように進言しました(20―23)。呪いの言葉を甘んじて受け、沈黙するダビデの姿を通して、主の手にあって事が起こり、黙して、主のあわれみを求めることを覚えます。

第二サムエル記 17章
アブサロムの参謀アヒトフェルは時を移さずダビデ追撃を提案します(1-4)。しかし主はダビデの友フシャイの助言をもってそれを打ち砕きます。すなわち今夜ダビデを襲うのは得策ではなく、大軍勢で、アブサロムが先頭に立ち、徹底的に打つようにフシャイは語り、その助言が皆に認められるところとなりました(5-14)。フシャイは直ぐに祭司ツァドクらの子らをダビデに遣わし、ヨルダン川を渡るように告げます。彼らは、途中、見張りの者に見つかりますが、名もなき女性を通して命拾いします(15-22)。助言が退けられたアヒトフェルは失望し、命を断ちました(23)。ダビデはヨルダン川の東の町マハナイムに入りました。アブサロムはダビデの軍団長ヨアブの親戚アマサを新たな軍団長としました。ヨルダン川の東ギルアデの地に住む者たちはダビデに食糧を届けました(23-29)。主は、様々な人々を通してダビデを守られました。主は人々を用いて、主に従うものを助けられます。

第二サムエル記 18章
ヨルダン川の東のマハナイムに逃げたタビデは態勢を整え、軍を編成し、最善を尽くします。ダビデも出陣するつもりでいましたが、部下たちの説得を聞き入れ、町に残ります。ダビデはアブサロムへのあわれみを命じました(1-6)。アブサロムの軍は、ダビデ軍に打たれる以上に、密林で命を落とします。アブサロムは誇りとした髪が木に引っ掛かり、ヨアブに打たれました。その体は穴に投げ込まれ、最後を迎えました。ヨアブは端から彼を殺すつもりでいたのでしょうか(7-18)。ツァドクの子アヒマアツは一刻も早く主にある勝利をダビデに伝えることを願い、先に出たクシュ人を追い抜きダビデに事の次第を告げます。しかしアブサロムの死はクシュ人が告げました。ダビデは息子の死を大いに嘆きます(19-33)。アブサロムの反乱は、彼の死を持って終わります。部下たちの様々な行動も気になります。ダビデは嘆きますが手遅れでした。私たちは今という時に行動しましょう。

第二サムエル記 19章
ダビデがアブサロムの死を嘆き、喪に服しているという知らせを聞き、決死の覚悟で戦った兵士たちは隠れるように町に戻りました。ヨアブは耳に痛いことをダビデに語り、ダビデはそれを聞き入れ、兵をねぎらいます(1-8)。ダビデはエルサレムにいる者たちに和解を呼びかけ、王として戻ることを伝え、さらにヨアブに代わってアマサを軍団長に指名しました(9-15)。ダビデをののしったシムイ(16章)は赦しを請い、ダビデは血を流しませんでした(16-23)。またメフィボシェテを責めますが、説明を聞き、しもべツィバと地所を分けるように(参16:1-4)決定しました(24-30)。バルジライ(17:27-29)は引き際を見定め、ダビデに息子を託します(31-40)。ユダの人々と十部族の権力闘争はくすぶり続けました(41-43)。とりあえず決着がつきましたが、様々な火種が残りました。人の感情や思惑のうごめく中で何を学ぶでしょうか。そして、そこにも主の導きがあることを覚えます。

第二サムエル記 20章
ベニヤミン族のシェバという人物がユダ部族を除く、他の部族に呼びかけ、ダビデに反旗を翻します。ダビデはアブサロムのものとなった側女たちを遠ざけます(1-3)。ダビデは軍団長アマサにユダの民の招集を命じますがうまくいかず、代わりにアビシャイにシェバの追撃を命じます。途中で、アマサはヨアブに刺し殺され、その後、ヨアブが討伐の指揮を執りました(4-14)。シェバは北方の町ダンの近くアベル・ベテ・マアカにまで向かいますが、その町の知恵ある女によって打たれ、ヨアブはエルサレムに引き上げました(15-22)。新しく国の要職に就いた者たちで、ヨアブが軍団長に返り咲いています(23-26)。なおも続く、権力争い、血が流され、権力者に翻弄される女性、かつて語られた王制の問題やダビデへの預言とは言え、まさしく、現代にも通じる人間の社会の縮図です。その中で名もなき女性の知恵が町を救いました。小さな存在と言わず、その知恵を主は用いられます。

第二サムエル記 21章
残りの四章は補遺になります。ダビデの治世に起きた飢饉の記録です。その原因について、それはサウル王と一族がギブオン人(ヨシュア9章)との契約を破り、血を流した責任にあると語られます(1)。ダビデはギブオン人たちに和解の条件を求めます(2-6)。彼らは七人のサウルの子孫の命を求めます。ダビデはヨナタンとの約束のゆえにメフィボシェテは除き、他のサウルの子孫を引き渡します。リツパの姿には心を打たれます(7-11)。ダビデはサウルとヨナタンの骨をギルボアから運び、七人の骨をともに墓に葬りました。その問題が解決された時、主は祈りに心を動かされます(12-14)。十五節からは別の記録です。ダビデの四人の勇士たちと「ラファ」の子孫であるペリシテ軍の名のある戦士たちの戦いが記録されています。ダビデには助け手が備えられていました(15-22)。神様との関係を妨げる罪の問題が示されるならば取り除きましょう。指導者のために祈りましょう。

第二サムエル記 22章
表題にある通り、ダビデが敵、またサウル王の手から救い出された時の賛美です。詩篇十八篇と重なります(1)。神様は堅固で、安全な逃れ場であり、救いです(2-4)。死、滅びといった絶望の中でも、主に叫ぶなら、主は聞いてくださいます(5-7)。主は天地を支配し、それ揺り動かす大いなるお方であり、出エジプトの出来事も想起し、助け主なる主を賛美します(8-16)。主は強敵から救い出し、自由と安全を与えられます(17-20)。ダビデは主の御前を歩む自らの義を訴え、あわれみを願います(21-25)。主のさばきは正しく、主に身を避けるすべての者の盾であると歌います(26-31)。このお方の他に神はいません。このお方にあって堅く立つことができ、勝利を得ることができます(32-46)。主は生きておられます。このお方への感謝と賛美が歌われます。そして主はとこしえにダビデの家を祝福されます(47-51)。ダビデの人生を振り返って、この賛美を味わいましょう。

第二サムエル記 23章
表題の通り、ダビデの遺言のことばですが、神にあって今の自分があることを紹介しています(1)。主の霊を通し、主が語るとダビデは告げます。神を恐れ、義によって治める者が、光を照らすと語ります。その国は神とともにあり、神との契約によって立てられ、誰も立ちうちできません。ここにはメシア(救い主)にまで向かう預言としても読めます(2-7)。八節からはダビデの勇士が紹介され、ペリシテと戦った三勇士ヨシェブ、エルアザル、シャンマの武勇が紹介されます(8-12)。三人は命懸けて井戸の水を汲み、ダビデはそれを飲まず、主に注いで応えました(13-17)。その三人には及ばないもののアビシャイ、ベナヤの活躍も紹介されます(18-23)。二十四節からは他の勇士の名が記録されます。その最後がウリヤであることは印象的です(24-39)。ダビデ一人の力で立つ王国でなく、多くの助けがあり、何より、すべては主によるものでした。私たちの人生も同じです。

第二サムエル記 24章
ダビデはヨアブの助言を退け、人口調査を命じます。徴兵、徴税のため、あるいは兵の数を誇り、それを頼みとする思いがあったでしょうか。第一歴代誌はサタンによるとありますが(21:1)、主権を持つ主はそのことを許容されます。しかしそれを喜ばれたわけではありません(1-4)。ヨアブは全土を行き巡り、兵の数を報告しました(5-9)。ダビデは主のみこころに背いたことに気づき、その行為を悔います。預言者ガドを通して、神はダビデに対するさばきが告げ、ダビデはその中から神の手に陥ることを選びます(10-14)。全土を疫病が襲い、多くの民が死にます。ダビデは自分の罪のために苦しむ民の姿を見、私にわざわいを下してくださいと願います(15-17)。ガドは祭壇を築くように命じ、ダビデは費用を払い、後に神殿が立てられることになる場所に祭壇を築きます。主はその祈りに心を動かされました(15-25)。主の前に速やかに悔い改める姿が私たちにはあるでしょうか。