教会紹介

福音伝道教団 信仰告白

我らは信じかつ告白する。旧新約聖書66巻は、神の霊感によるもので誤りのない神のことばであり、救い主である主イエス・キリストを示し、信仰と生活の唯一の基準である。神は、父なる神、子なるイエス・キリスト、聖霊として聖書に示された三位一体の神であり、その本質及び完全において全く同一である。イエス・キリストは、父なる神の独り子で全き神性と全き人性を有し、処女マリヤから誕生し、罪のない聖なる生涯をおくり、我らの罪を贖うため十字架上で死に、復活し、昇天し、再臨する。人類の原罪とこれに基く諸種の罪悪は、人類の堕落、社会の悪化をもたらし、神の審判の下にある。キリストの贖罪を信じるものは、信仰によって義と認められ、新生し、キリストとの合一によって聖化され、聖霊に満たされ、からだの栄化と永遠の生命にあずかる。イエス・キリストを頭と仰ぐからだである教会は、恵みによって召されたものによって成り、公同の礼拝と聖礼典を守り、福音を宣べ伝え、世にある証人として主の再臨を待ち望む。

福音伝道教団 沿革

日本のキリスト教未伝地にキリストの福音を急速に伝える為に、1925年(大正14年)まず本州中央部の群馬、埼玉、栃木の3県より伝道を開始したセントラル・ジャパン・パイオニヤ・ミッション(中央日本開拓伝道団、創立者マーガレット・エミー・バーネット師)の働きの結果、各地に起った信者の団体(教会)がそのミッションの教義、信条に基き共同の目的である信仰の純潔を保持し、徳性を養い、福音伝道に奉仕せんが為に結合し、1927年(昭和2年)福音伝道協会を組織した。 1941年(昭和16年)日本基督教団の成立に際しては第10部として加盟したが、終戦と共に離脱、1947年(昭和22年)2月、同協会を再建した。 1951年(昭和26年)宗教法人法の規定に従って組織を定め、名称を福音伝道教団と改称した。 1953年(昭和28年)10月27日文部大臣所管の包括宗教法人として認証を受け、現在に至っている。

大泉キリスト教会の歩み

第一章   草創期(戦後)(1948年[昭和23年]~1962年[昭和37年])

大泉町(旧小泉町)の宣教は、1949年、館林教会(小林誠一師)に出席していたI姉の祈りや館林教会の協力で開拓伝道が開始された。大泉南部公民館やI姉宅が会場として用いられた。日曜学校が始まり、A姉(後のU牧師夫人)、S姉等が導かれる。その後も、次々と受洗者起こされる。56年、I姉宅の2階で毎週金曜日に小林師による集会が持たれた。58年、学塾生柳田美津子修養生が館林より派遣され、下小泉宮下のN宅2階にて礼拝が開始される。58年横浜の新子安にあった米軍キャンプの解体材を利用して会堂を建設した。59年1月28日、献堂式が行なわれる。60年、阿部ルツ子師が大泉教会伝道師就任に、さらに62年、岡部高明師が伝道師に就任した。その年、週報第1号を発行する。毎朝6時からの早天祈祷会、毎週火曜日夜の路傍伝道も始まる。大挙伝道会等を開催する。


第二章   発展期1(1963年[昭和38年]~1982年[昭和57年])

63年に、青年会「月報」を創刊する。また青年会主催で特別伝道会や尾島教会との合同青年会と交歓会を行う。66年、皆川誠伝道師(主管牧師:小林誠一師兼牧)が任命される。70年内田寿子師就任。72年、宗教法人「福音伝道教団大泉キリスト教会」が設立される。76年、赤松弘師主管牧師就任(兼牧)。78年、岡部高明師(聖書学院長)が主管牧師を兼務し、伝道実習生として八町勇学院生が奉仕する。同年、吉田欣司師が主管牧師を兼務し、八町勇伝道師が就任する。81年からELIスクラム伝道が始まる。ELIスクラム伝道は、 以後、1989年まで9回行なわれ、ELI英会話参加者の中から多くの決心者、受洗者が与えられる。そのうち、ELIキャンプで信仰告白した2名が後に献身し牧師となる。


第三章 発展期2(1983年[昭和58年]~2002年[平成14年]

引き続きELIの働き等により、受洗者が与えられる。92年、ガーナ人の結婚式を行う。同年、第1回クリスマス・バザーを行なう。93年3月、大泉キリスト教会ビジョンが発表される。〈教会形成の基本理念〉「福音に生かされ宣教する教会」(ローマ1:16,マタイ28:19)〈教会形成の五つの柱〉1.祈り 2.みことば 3.御霊 4.神の愛 5.信徒の賜物 〈五つのビジョン〉1.地域に開かれた教会 2.愛と祈りと賛美の教会 3.伝道する教会 4.50人教会 5.新会堂建設  この頃から新会堂を求める声が上がり始める。94年、牧師より会堂建設に対し、ハガイ書1章8節が与えられ、確信が与えられたとの報告がある。95年 教会総会において、「教会建設を向こう5年以内に行なう。」との決議をした。

第四章 新しい時代に備えて(2003年[平成14年]~2012年[平成24年])

97年~2003年、新会堂建設について祈りつつも具体的な動きがなかった時期。2004年、牧師に新会堂建設への強い願いが与えられ、確信へと導かれる。2005年、責任役員会において新会堂建設を行なうことを決定する。2月20日、教会総会において新会堂建設を行なうことを決議し、会堂建設委員6名を選出する。T建設より新会堂建築設計図、見積書が提出される。4月1日、会堂建設委員会、責任役員会において次の事項承認。1)新会堂建築予算案総額、2,653万円を承認。2)教会債発行による新会堂建築資金600万円の借入を承認。3)3月25日に提出された新会堂建築設計図、及び見積書を承認。4)T建設との新会堂建築施工契約を承認。2006年5月7日、臨時教会総会において、責任役員会が提案した4月1日の4項目を可決承認。7月9日、起工式。9月2日、上棟式。12月14日、建築工事竣工、引渡し。12月17日、新会堂で最初の礼拝。2007年1月20日、献堂式。2009年、牧師に大泉教会の将来のため中川信嗣師を副牧師に招聘したいという思いが与えられ、確信に導かれる。11月15日の臨時教会総会の議決を経て正式に中川信嗣師を招聘することを決定。2010年4月1日 中川信嗣師大泉キリスト教会担任教師(副牧師)に就任。2012年3月、八町勇主管牧師退任、同年4月中川信嗣副牧師、主管牧師に就任する。

牧師紹介

中川信嗣(なかがわしんじ)

1973年に今市市(現日光市)に誕生。1989年に主イエスを救い主として信じて洗礼を受けました。筑波大学で農学を専攻し、乳業会社に就職しました。中央日本聖書学院を2001年に卒業し、伊勢崎キリスト教会で伝道師として奉仕しました。その後、東京基督神学校、アズベリー神学校で学び、2010年から大泉での副牧師を経て、2012年から主管牧師となり現在に至ります。2023年4月より福音伝道教団 尾島キリスト教会を兼務。

尾島キリスト教会HPこちら