士師記

士師記
士師記はヨシュアの死後からサムエルが登場し王制が敷かれていくまでの約二百年間のイスラエルの各部族に起こった出来事が年代順ではなく記録されています。士師とはさばきつかさともいわれ、政治的、軍事的指導者でした。ヨシュア記の最後が伏線となり、イスラエルの民は約束の地に残した先住民や周辺の民族の中にあって、偶像に心を奪われ、主との契約を破り(背信)、異国の民からの苦難を受け(さばき)、その中で神に叫び(悔い改め)、主が士師を起こされて救い出される(回復)というパターンが繰り返し記録されます(2:11-23)。十六章までに十二人の士師が登場します。そして十七章以降は道徳的にいかに腐敗していたかを示す一つの事件が記録されています。まさしくそれぞれが自分の目に正しいと思えることを行っていたことの結果です(21:25)。誘惑、妥協、失敗、混乱、さばき、悔い改め、主の憐れみ、回復…この世にある私たちの歩みと重なり、私たちの姿が問われます。

士師記 1章
ヨシュア記の記録とも重なる部分がありますが、ヨシュアの死後、南部に相続を得たユダ族は、シメオン族の助けを得て、アドニ・ベゼグを討ちました(1-7)。ユダ族はエルサレムをはじめとする町々を攻略しました(8-10)。ヨシュア記十五章に記録されていたカレブとその娘の出来事も記録されています(11-15)。モーセのしゅうとの子孫ケニ人、ユダ族、シメオン族、ベニヤミン族、そしてカレブによる南部攻略とともに、その地を完全には攻略できなかったことが記録されています(16-21)。またヨセフ族(22-26)、すなわちマナセ族(27-28)とエフライム族(29)、さらにはゼブルン族(30)、アシェル族(31-32)、ナフタリ族(33)もまた先住民を完全に追い払えず、ダン族については相続地を放棄せざるを得ませんでした(34-36)。残した民の風習、宗教がこの後、影響を及ぼします。徹底しない信仰はやがて堕落を招きます。私たちの信仰はどうでしょうか。

士師記 2章
イスラエルの民は先住民を徹底的に追い払わず、その地の習慣や偶像礼拝に陥ったゆえに、主は敵を追い払わないと語られました(1-5)。ヨシュア記の最後と一部重なりますがヨシュアや長老たちが生きている間、民は主に従いますが(6-10)、彼らの死後、民は主の目に悪を、すなわち主を捨て、豊穣肥沃の神々バアルやアシュタロテといった異教の偶像に仕え、主の怒りを招き、敵の手に陥ります(11-15)。しかし神は民をあわれみ、彼らのためにさばきつかさを起こし、救われます(16)。しかし、再び同じことが繰り返されます、背信(17)、民の叫びと神の憐れみによるさばきつかさによる回復(18)、そして逆戻り(19)です。イスラエルの民は徹底して先住民を追い払わず、その地の風習や偶像礼拝に陥りましたが、それはまた主がそのことを通してイスラエルの内にあるものをあらわにし、訓練されました(20-23)。私たちの人生におけるサイクルはどのようなものでしょうか。

士師記 3章
イスラエルの民は異邦の民を残しますが、それは神が彼らを試みるためのものとなりました。民はやがて異邦の民と結婚し、また偶像に仕えるようになりました。アシェラとは、アシュタロテと同じく肥沃の女神でした(1-6)。主を忘れ、偶像に仕える民に対して主の怒りが燃え上がり、南部のアラム・ナラハイムの王によって苦しめられます(7-8)。民が叫ぶと①士師オテニエル(ヨシュア15章)が起こされ平和が訪れます(7-11)。さらに民は主の目に悪を行い、神はヨルダン川の東、モアブ人の王エグロンと、アンモン人、アマレク人によって民からの侵略を受けます。侵略者はナツメヤシで有名なエリコを奪いますが、民が主に叫ぶと、ベニヤミン族の②士師エフデが起こされ、彼は策略を用いてエグロンを討ち、民を招集し、モアブ人を討ち、平和が訪れます(12-30)。ペリシテ人に対しては③士師シャムガルが起こされました(31)。試練の中で私たちの信仰はどうでしょうか。

士師記 4章
士師エフデの死後、イスラエルの民は主の目に悪を行い、ガリラヤ湖北部にある町ハツォルの王ヤビン(ヨシュア記11:1とは別人)とその軍の長シセラによる圧政を受け、主に叫び求めました(1-3)。主は女預言者であり、④士師デボラを用いられました。彼女は北部のナフタリ族のバラクを呼び寄せ、ナフタリ族とゼブルン族を中心に、ヤビンの軍の長シセラを討てとの主のことばを告げます。バラクはデボラが共に行くことを願い、デボラは女がシセラを討つことを預言します(4-10)。そして鉄の戦車を持つ屈強な敵に対して、主からの降雨もあり(5:21)、勝利を得ました(11-16)。シセラは逃げますが、ケニ人ヘベルの妻ヤエルの手によって殺されました(17-22)。カナンの王ヤビンも力を失い、やがて滅びました(23-24)。当時、女性の地位は低く、弱い存在と見なされていました。その女性たちを主は用いました。主の前に強い、弱いは関係ありません。

士師記 5章
この章は四章の出来事が詩によって歌われています。荒野を旅してきた父祖たちを守られた主なる神を賛美します(1-5)。しかし今、自分たちは偶像に仕えるようになり力を失った。けれどもデボラが立てられました(6-11)。士師デボラとバラクのもとにイスラエル諸部族が集まります。しかし集わない者たちもいました(12-18)。大雨による川の氾濫が起こり、イスラエルは勝利に向かいます。しかしメロズの民は戦いに参加しませんでした。(19-23)。それとは対照的に、この戦いにおいて勝利を決定づけたのはケニ人ヘベルの妻ヤエルでした(24-27)。そのヤエルに討たれた敵軍の将シセラの母は、息子の帰りが遅い理由はいつものように分捕りものを奪っていると考えましたが破滅が近づいていました。しかし主を愛する者たちは太陽のように力強く上るのです(28-31)。戦うものもいれば、戦わない者もいました。主の勝利をともに味わい、太陽のように照り輝くものは幸いです。

士師記 6章
ヨルダン川の東のミディアン人や南のアマレク人は収穫の時になるとやって来て穀物を略奪していきました。そして民は主に叫びます(1-7)。主はまず預言者を通してご自身を表し、彼らの不従順を叱責しました(8-10)。そして主の使いが⑤士師ギデオンのもとを訪れます。み使いは弱く、恐れるギデオンに、主がともにおられるので、その力で行けと遣わされます(11-18)。主は彼にしるしを見せられました(19-24)。主はギデオンに偶像とその祭壇を打ち壊すように命じ、彼は実行します。ところが、人々は怒り、彼のいのちを求めますが、父はギデオンを弁護します。これほどに民の信仰は腐敗していました(25-32)。さて、敵の連合軍がイスラエルと対峙します。主の霊に満たされたギデオンは立ち上がり、北部の民を招集しました(33-35)。ギデオンは戦いを前に、なお羊の毛と露による神のしるしを求めました(36-40)。神様は弱いギデオンをも振る立たせ用いるお方です。

士師記 7章
ギデオンはギルボア山麓に陣を敷き、ミディアン人と対峙します。主はギデオンに、自分たちの力を誇ることのないように、まずは恐れているものを家に帰し、次に備えつつ水を飲んだ三百人を選びました(1-8)。さらに、主はギデオンを敵陣の偵察に向かうように導き、彼はそこで敵の一人が夢の中で、神によって全陣営がギデオンの手に渡されることを話していることに力を得ました(9-14)。ギデオンは自陣に戻り、兵を励まし、たいまつを入れた壺と角笛をもって出陣しました。そして番兵が交代したのを見計らって、三隊に分かれた兵たちは角笛を吹き、壺を割ってたいまつを取り、叫び声をあげて攻め上りました。主がその陣営をかき乱し、彼らは勝利しました(15-23)。そして、再び兵を招集し、ミディアン人をヨルダン川の東まで追い詰め、敵の首長を討ちました(24-25)。数の上では圧倒的な少数でも主によって勝利を得られます。主に従うならば数は問題ではありません。

士師記 8章
主の戦いにあっても批判的な人、非協力的な人もいました。エフライム人は戦いの最初から自分たちに声をかけなかったことを責めます。ギデオンはミディアン人の首長を討ったのはあなたがたではないかとなだめます(1-4)。またギデオンは精鋭とミディアン人を追い詰めますが、ヨルダン川東のスコテとペヌエルの人々は彼らを冷たくあしらいました。しかし、その事のゆえに、彼らは厳しく罰せられました(5-17)。ギデオンは二人の首長に自分たちの行いの報いを与えました(18-21)。民はギデオンに治めてほしいと願いますが、主が治めるとギデオンは答えます。しかし彼は祭司の役割を担おうとしたのか、人々から金の耳輪を集め、祭服エポデを作ります。それは民の堕落の一因となりました(22-28)。ヨシュアは死に、再び民は神を捨て、不道徳な生活を始めました(29-35)。どんなに立派な人物であっても小さなほころびから大きな問題を生み出すことがあります。

士師記 9章
エルバアル(ギデオン)の子アビメレクは母(女奴隷)の故郷シェケムの氏族をそそのかし、偶像の神殿の金を得て、自分の異母兄弟七十人を皆殺し、王となりました。しかし末息子ヨタムだけは逃れ、ゲリジム山から、シェケムの民に向かって、木のたとえを用いて、役に立たない茨を王としたことで危険を身に招いたと彼らを責め、そして滅びを預言しました(1-21)。三年後、主のさばきとしてわざわいをもたらす霊が送られ、反乱分子とガアルが共謀してアビメレクを裏切り、略奪を始めます。シェケムを治めていたゼブルは使者をアビメレクに送り、彼は反逆者を返り討ちにしました(22-40)。アビメレクはさらに裏切り者たちを徹底的に打ち、偶像の宮に入った者たちを焼き殺し、続いてテベツに向かいました。しかしそこで一人の女が投げた石臼に打たれ、彼は死にました(41-57)。あの神に用いられたギデオンの家族の成れの果てです。どこに問題があったのでしょうか。

士師記 10章
最初に二人の士師が挙げられます。⑥イッサカル人トラ(1-2)は、エフライムの町シャミルで立てられ、⑦ギルアデ人ヤイルはヨルダン川の東でイスラエルをさばきました(3-5)。後半は次の章に登場する士師エフタの活躍する時代背景が書かれています。民は士師がいなくなると再び主の目に悪を行い、もろもろの偶像に仕えます。バアル、アシュタロテをはじめ、各地の神々(ケモシュ、ミルコム、ダゴンなど)にも仕えました。そこで、主は地中海岸のペリシテ人とヨルダン川東のアンモン人によってイスラエルを苦境に立たせました(6-9)。ようやく民は主に叫び求めますが、主は「あなたがたが選んだ神々に叫べ」ばよいではないかと厳しく民に語りかけました(10-14)。それでも民は助けを求め、異国の神々を取り去るに至って、主は彼らを憐れみ、ギルアデの中に士師が立てられていきます(15-18)。神以外のものに何度も心を向ける民の姿は、私たちの姿でもないでしょうか。

士師記 11章
前の章からの続きで、⑧ギルアデ人エフタが登場します。彼は勇士でしたが、遊女の子であるということから、正妻に子たちから遊女の子である彼は追い出され、エフタは逃げてギルアデから北東にあるトブの地に住み着きました(2-3)。ところがしばらくするとヨルダン川東のアンモン人がイスラエルに戦いを仕掛け、長老たちは手のひらを返してエフタに助けを求めます。彼は首領になる事を条件に引き受けました(4-11)。エフタはアンモン人に使者を遣わし、歴史的背景を説明し(民21章)、正当性を主張し、平和的解決を試みますが、アンモンの王はそれを拒絶します(12-28)。主の霊を受けてエフタはアンモン人に攻め上りますが、勝利のために自分勝手な請願を立て、娘を失うという刈り取りをすることになります(29-40)。主はどんな不遇、不条理の中にあるものさえも立て、用いられるお方です。また完全な人間はいません。自分の言葉に気を付けましょう。

士師記 12章
アンモン人に勝利を収めた後、エフタに対してヨルダン川西の中央部に領土を持つエフライム人が、最初は傍観していたにもかかわらず、情勢が変わった途端、なぜ自分たちを戦いに誘わなかったのかと難癖をつけます。ギデオンの時にも同じようなことが起こりました(士師8章)。エフタはその態度を責め、逆にエフライム人を討ちました。自分たちの欲望によって同士討ちが起こったことは痛ましい事でした。さらにヨルダン川を渡って西に逃げようとする彼ら対してことばの訛りで検問を行いました(1-7)。続いて三人の士師の名が簡単に記録されています。ユダの地ベツレヘムに⑨士師イブツァンが起こされ(8-10)、ゼブルンの地で➉士師エロンが立てられ(11-12)、エフライムの地で、ピルアトン人⑪士師アブドンがさばきをおこないました(13-15)。各地において士師が登場し、一代限りでその責任を果たし終えます。主は必要に応じて人を立てられるお方です。

士師記 13章
イスラエルの民はなおも、主の目に悪を行ったので、ペリシテ人により四十年もの長きに渡り苦しめられることになりました。ダン部族で、エルサレムから西に二十五キロほどのツォルアに住むマノアの妻のもと主の使いが現れ、あなたは身ごもり、そしてその子をナジル人(民数記6章)として生み、育てるように語りました。そして、その子は「イスラエルをペリシテ人の手から救い始める」と語られます(1-7)。夫のマノアはさらなる指示を求め主に願うと、再び主の使いが現れ、もう一度、ナジル人としてその子を育てるように語られます(8-14)。マノアは主にいけにえをささげ、その主の使いの名を聞くと「不思議」という名であると語られました(15-23)。そのようにして誕生した⑫士師サムソンの上に、主の霊が下り、特別な力に満たされました(24-25)。主は劇的な変化をもたらすお方であり、また徐々にことを進めるお方です。すでに始まっている主の働きに目をとめましょう。

士師記 14章
サムソンはティムナに住むペリシテ人との結婚を求めます。異邦人との結婚(申7章)に両親は反対しますが、主はそこから事を起こされました(1-4)。ある日、サムソンは獅子を裂き、しばらくするとそこに蜂の巣が作られ、その蜜を彼も彼の両親も食するということが起こります(5-9)。サムソンは祝宴の際、その事を招待客に謎かけます(10-14)。客たちはサムソンの妻を脅し、妻の涙にサムソンは秘密を洩らし、サムソンは賭けに負けます(15-18)。サムソンは腹を立てながらも、主から力を受け地中海岸沿いのペリシテの町アシュケロンで、客に約束した品々を奪います。結局、その娘は客の一人の妻となりました(19-20)。異邦人との結婚、ナジル人でありながら死体に近づき、酒を飲み、異性に弱く、傍若無人に行動する。そんなサムソンの姿には眉をひそめますが、主は弱さを持ったギデオンを用いられ、また日常の事柄の中にあって、事を進められたことを覚えます。

士師記 15章
サムソンがペリシテの娘との婚姻を願ったことは、さらなる出来事に発展します。サムソンはあらためてその娘を訪ねるとすでに他の男の妻となっており、怒ったサムソンはペリシテ人の麦畑をジャッカルとたいまつで使い焼き払います。それに怒ったペリシテ人はその娘とその父を殺します。するとそれに対してまたもやサムソンがペリシテ人に復讐します(1-8)。するとペリシテ人は個人への怒りをユダ族に向けます。ユダ族の民は、ペリシテ人はわれわれの支配者なのだと恐れ、サムソンに怒りをぶつけますが、サムソンは彼らに自分を縛りペリシテ人に引き出すように告げます(9-13)。その時、主の霊が激しくサムソンに臨み、彼は近くにあったろばの顎の骨でペリシテ人を討ち倒します。また喉の渇きもいやされました(14-20)。人間的には問題ばかりのサムソンですが、主はその人さえ用い、イスラエルの民をペリシテ人の手から救いました。欠点ばかりの私さえも主は用いられます。

士師記 16章
サムソンはペリシテの町ガザ住む遊女のところに行き、命を狙われるも、門を引き抜き約六十キロ東のヘブロンに運ぶという怪力を見せます(1-4)。その後、彼はソレクの谷に住むペリシテの女性デリラを愛します。彼女は買収されサムソンの秘密を暴くことを画策します。サムソンは、デリラからの甘言を三度、退けましたが、ついに力の源であるナジル人の誓願をばらし、力を失います。彼は捕らえられ、ペリシテの町ガザに連行されました(5-22)。ペリシテ人の領主たちは、ダゴン神の祭りの時、見世物にしようとサムソンを引き出します。すでにサムソンの髪は戻り、彼も神の前に悔いていた事でしょう(23-27)。サムソンは主に祈り、力を得ます。そして二本の中柱を押し、神殿が崩壊し、多くのペリシテ人とともに死にました(28-31)。波乱万丈、決して立派とは言えないような士師でしたが、そんな彼が用いられ、そして最後の時も、幼子のように主を求め、主から力を得ました。

士師記 17章
この章からは士師記の付録のような部分で非常に重い気持ちにさせられます。エフライムの山地に住むミカは母のお金を盗みますが、良心の呵責か、のろいを恐れてか、それを母に返します。母はそのお金の一部でミカのために彫像と鋳像を作らせます。ミカは、家に礼拝場を設け、祭服エポデや小像テラフィムを作り、息子を祭司に任命しました。まさしく「それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた」(6)というように平気で偶像礼拝を行う有様でした(1-6)。そこにユダのベツレヘムから滞在先を求めてレビ人がやって来ました。ミカは丁度良いとばかりに、このレビ人を祭司として雇い、そのレビ人もそれを受け入れました。そんな状況についてミカは「主がわたしを幸せにして下さることを知った」(13)と喜びました(7-13)、自分都合で良し悪しを決め、自分都合で主の祝福のあるなしを語る姿は私たちの中にも潜んでいる自己中心的な姿ではないでしょうか。

士師記 18章
イスラエルの腐敗しきった様子が続きます。ダン族は地中海岸の中西部に割り当て地がありながら(ヨシュア19章)、その地を獲得できず、別の相続地を求めて、偵察隊を送ります。偵察隊はミカの家に寄り、祭司に伺い、旅を続け、北方の地ライシュを奪うことを仲間に告げます(1-10)。ダン族はその地を目指して出発し、途中ミカの家に寄り、祭具と偶像を奪い、さらに祭司に部族の祭司となるように勧めます。この祭司は喜んで彼らについていきました(11-20)。この事実を知ったミカは人々とともにダン族を追いますが、脅され何もできず帰宅しました(21-26)。ダン族はライシュの人々を討ち果たし、ライシュをダンという町の名に変え、その地をダン部族の相続地としました(27-31)。個人どころか部族も滅茶苦茶です。主を恐れず、自分たちの目に良いと思うように生きる姿は、次から次に問題をまき散らしながら歴史が進みます。神はこのような世界に介入されます。

士師記 19章
イスラエルの絶望的な無法状態が引き続き記録されています。エフライムの山地に住むレビ人がベツレヘムから側女をめとりますが、彼女は里に帰ってしまいました(1-2)。彼はその娘を迎えに彼女の家を訪れ、義理の父に引き止められるままに時を過ごしますが、五日目に無理をして旅立ちます(3-9)。彼らはベニヤミン領のギブアに入りますが町の者は誰も泊めてくれず、寄留していた同郷の老人が家に招いてくれました。ところが、その夜、男色を求める町のならず者たちがやってきました。彼は身代わりに側女を引き出します。彼女はひどい仕打ちを受け、命を落としました(10-26)。彼は家に戻るとその遺体を分け、イスラエルの全土に送りつけ、事の決着をつけるように求めました(27-30)。すべてがおかしくなっているとしか思えない出来事です。しかしそれは私たち人間の罪の世界の悲惨さの一面ではないでしょうか。神がいるなら何故ではなく、神なしに生きる人間の現実です。

士師記 20章
イスラエル全土から民が集まり、事の顛末の説明を受けます(1-7)。民は攻め上る前に、まず、ベニヤミン族によこしまな者たちを引き渡すように交渉し平和裏の解決を望みますが、ベニヤミン族はその申し出を拒否し、挙兵しました(8-16)。民はエルサレムから北に十五キロほどのベテルに集まり主の御心を伺います。シロから契約の箱が運ばれてきたのでしょう。イスラエルの民は戦いに臨みますが、ベニヤミン族の前に大敗北を帰しました。しかし神は戦いを継続するように命じます(19-23)。しかし再び、イスラエル軍の多くの兵士が討たれます。民はもう一度、ベテルで主の御心をもとめます。主は攻め上れ、あす勝利を与えると語られました(24-28)。民は信じて立ち上がり、ベニヤミン族を討ち、わずかなベニヤミン族を残し、町や家畜を聖絶しました(29-48)。民にとって身内を討つことはどれほどの痛みだったでしょう。そのことを通して自らを省みる時でした。

士師記 21章
イスラエルの民はミツパに集まり、ベニヤミン族の事を嘆き、いけにえをささげました(1-4)。彼らは自ら立てた誓いを保ちつつ、ベニヤミン族が途絶えることのない道を模索します(5-7)。彼らは、戦いに加わらなかったヨルダン川東のヤベシュ・ギルアデの住民を討ち、男を知らない女性を連れてきて残ったベニヤミン族に妻として与えます。さらに幕屋のあったシロに上って来た踊り手の女性たちを彼らの妻とすることを認めました。彼らは、何とか自分たちの誓いを固持し、その上でベニヤミン族の血筋が継続することを模索しました。(8-24)。十七章から始まった一連の出来事、いや士師記全体がまさに自分中心の状況を表し、その腐敗ぶりを告げます(25)これが聖書なのかと思えるような内容だらけでした。悔い改めよりも、小手先、浅はかな問題解決に終始する人の姿です。人間の罪の現実、神なしに生き自分勝手な社会の歴史の一面に、私たちは何を聴くべきでしょうか。