ヨシュア記

ヨシュア記
ヨシュア記は歴史書の中におかれ、イスラエルの民がエジプトを脱出した後、指導者ヨシュアが立てられて、約束地への入国(1-5章)、その地の征服(6-12章)、各部族への分割(13-22章)、そして晩年のヨシュア(23-24)について記録されています。その内容は、今日の私たちから見るとただの侵略にさえ見えます。しかし神の約束に基づいて、そこには法や秩序がまだ整っていない時代背景、不道徳や偶像礼拝といった神の目に悪しき生き方をしている民に対する神の特別な命令であることを心にとめた上で、新約聖書においてはっきりと示されていく愛と平和に目を向けます。この書はヨシュアの名がとられ、多くの部分は彼による記録であり、そして最終的には彼の死後まとめられたと思われます。私たちの信仰生活も罪と悪との戦いが続きます。罪と悪とは徹底的に戦い、決別しなければなりません。それは主に信頼し、主に従って歩む時にのみ勝利を得ることができるのです。

ヨシュア記 1章
主である神は、モーセの後継者として立てられたヨシュアに対して、わたしがあなたとともにあること、恐れないで約束を信じ与えられている地をあなたがたが前進すること、主が命じられた律法に従って歩むこと、そうして祝福を受けるように語られます(1-9)。ヨシュアは民のつかさたちに出発の準備を命じます。荒野で与えられていたマナはもうありません(10-11)。またヨシュアはヨルダンの東側に相続地を得たルベン族、ガド族、そしてマナセの半部族の戦士たちに、引き続き、ともに戦い、そして前を進みゆくように命じます(12-15)。彼らはその命令に従うことを約束し、ヨシュアに対して、ただ強く、雄々しくあるように求めました(16-18)。ヨシュアに語られた主のことばは今も私たちに語り続けられることを信じましょう。主はともにあり、私たちを見放さず、見捨てることはありません。それゆえに、強く、雄々しくあって、主の律法に従い、前進してまいりましょう。

ヨシュア記 2章
ヨシュアはエリコに二人の偵察隊を送ります。二人は遊女ラハブの家で情報収集を図ります。このラハブの名はイエス様の系図に記録されました(マタイ1:5)。偵察隊についてエリコの王に情報が入り、二人は危険にさらされますが、ラハブが機転を利かせ、繊維を取るために干してあった亜麻の下に彼らを隠しました(1-7)。それはラハブも、また町の人々もイスラエルを通して主がなされたことを見聞きし、そのお方がこの地をイスラエルに渡しているゆえに、心は萎えてしまい、それゆえ私の一族のいのちは助けてほしいと願います(8-14)。ラハブの家は城壁の一部とされていましたから、そこから二人を外に逃がします。斥候は自分たちのことを漏らさず、赤い紐を目印とし、一族を家の中にとどめるならばいのちを助けることを約束します(15-21)。二人の斥候は主がこの地を与えており、民は恐れていることを報告します(22-24)。主はすでに勝利を取っておられます。

ヨシュア記 3章
イスラエルの民はヨルダン川を前に宿営します。ヨシュアはしっかりと主の契約の箱を見、その後を進むように命じます。それは行くべき道を知るためです。しかし近づきすぎてはなりません(1-5)。さらに出発を前に、彼らは主の前に自らを聖別しました。ヨルダン川を渡るのは主のわざへの参与でした(5-6)。契約の箱を担ぐ祭司たちが水の中に立つ時、水はとどまります。そのみわざを通して、主なる神がヨシュアとともにいる事が示され、神が約束の地を与えておられることをイスラエルの民は知るようになります(7-13)。そして、契約の箱を担ぐ祭司たちの足がヨルダン川に踏み出された時、水はせき止められ、その足がしっかりと留まった時、ヨルダン川の水は渇きました(14-17)。主から目を離さず、主を恐れつつ、行くべき道に進んだイスラエルの民のように、私たちも行くべき道に踏み出しましょう。そして信じで踏み出す時、そこに道が備えられていたことを知るのです。

ヨシュア記 4章
主はヨシュアを通して十二部族の代表者一人ずつにヨルダン川の川底から石を取り、肩に担いで宿営に据え、それによって主が今日なされたことの記念とし、この出来事を子孫に語り継ぐように命じました(1-9)。そして、民が川を渡り終え、石がとられるまで契約の箱は川の真ん中に最後までとどまり続けました。ヨルダン川の東に相続地を得た二部族と半部族の戦士が先頭となりエリコの草原へ前進しました。人々はモーセと同様にヨシュアを主にあって尊敬しました(10-14)。契約の箱を担ぐ祭司たちがしんがりとなって川を上がるとヨルダン川の流れは元に戻りました(15-18)。イスラエルの民はエリコの東にあったギルガルに宿営し、ヨシュアは十二の石を積み、それを記念に主のわざを語り、全地が神を知り、また民は主を恐れなさいと語りました(19-24)。なされた主のわざを覚え、記念し、主を知り、主を恐れましょう。主は前に、後に私たちを導き守られるお方です。

ヨシュア記 5章
イスラエルの民がヨルダン川を渡ったことを聞いて、その地の住民は意気消沈しました(1)。イスラエルの民には割礼を命じられます。それはアブラハムの時に制定され(創17章)、過越に関して要求されたもので(出エジ12章)、契約の民のしるしとして包皮を切除しました。それはエジプトでの恥が取り除かれた(ギルガル・転がす)ということでもありました。民は傷が治るまでとどまりました(8-9)。イスラエルの民は四十年ぶりに過越しの祭りを祝い、その地の産物を食し、民を養ったマナはやみました(10-12)。ヨシュアがエリコの偵察をしていると主の軍の将に会います。その方は、そこは聖なる場所であるゆえに履き物を脱ぐように命じられました(13-15)。カナンの地を主の恐れが覆いました。イスラエルの民は行動を起こす前に、まず神との関係を整えました。行動に移す前にいつも主との関係を確認しましょう。主がおられるところ、そこが聖なる場所です。

ヨシュア記 6章
エリコの城門は閉じられなすすべがありません(1)。しかし主はヨシュアに、あなたがたの手にすでに渡していると語られ、主の方法で勝ち取るように命じます。契約の箱を担いで、六日間は町を一周し、七日目は七周回り、祭司が角笛を吹いたなら、時の声をあげて前進するのです(2-7)。そして言われた通りに行った時、エリコの城壁は崩れ去り、その内にあるものはさばかれ、主に帰すものとして聖絶されました(8-21)。ただし、ラハブと彼女に属した者たちは、約束の通りに救い出されました。金銀、青銅や鉄は主の宝物倉に聖別されました(22-25)。ヨシュアは、エリコの礎を再建する者はのろわれるという預言を語り、後に実現します(Ⅰ列16章)。主がヨシュアとともにおられたので、この地を主の恐れが覆いました(26-27)。人の目には不可能に思えるような強固な大きな城壁さえも、主がともにいてくださり、主の方法で、主に従う時に崩れ去ります。

ヨシュア記 7章
エリコ陥落に際して、神に帰すべき、聖絶のものに手を出したものが出ました。そのアカンの罪によってイスラエルに対して神の怒りが燃え上がりました(1)。ヨシュアがアイに偵察隊を送ると偵察隊は大勢の兵を送るに及ばないと報告しますが、イスラエルの民は返り討ちに会いました(2-5)。ヨシュアが神に叫ぶと(6-9)、主なる神は、聖絶のものに手を出したものがいたゆえに、イスラエルが聖絶のものとなったこと。その者を取り除かない限り敵の前には立てないこと。その者をくじでとりわけ、それに属する者を火で焼かなければならないことが命じられます(10-15)。次の日、くじを通してアカンが取り分けられ、彼は罪を神の前に告白しました(16-21)。ヨシュアはアコルの谷と呼ばれるようになる場所で、アカンと彼に属するものを焼き、石で打ちました(22-26)。神に帰すべきものを自分のものとしていないでしょうか。罪の結果は他の人にまで影響を及ぼします。

ヨシュア記 8章
主なる神はあらためてアイを攻略するように命じます(1-2)。ヨシュアは主のことばの通りアイに対して行動するように兵に命じました。伏兵を裏に配置し、敵が町を出たところで、彼らが攻め上りました。一万二千人の町に対して、非常に多くの兵で攻め上りました(3-10)。ヨシュアを先頭に上って来たイスラエルを見て、先の戦いの勝利に酔いしれていたであろうアイの兵士はすべて町から出て来ました(11-17)。ヨシュアに対して主は投げ槍をアイに向けるように命じ、伏兵が一斉にアイに攻め、町を出た敵も徹底的に打ち滅ぼされました。その時機も主が示されました(18-23)。ヨシュアは、主の命令通り、家畜と分捕り物を戦利品とし、その他は主に帰して聖絶しました(24-29)。ヨシュアは申命記二十七章にあるようにエバル山に祭壇を築き、エバル山とゲリジム山に民を立たせ、祝福とのろいを語りました(30-35)。主に従うか、従わないか。どちらの道を選ぶでしょうか。

ヨシュア記 9章
イスラエルの地形が東から西に紹介されて、そこに住む民族がエリコの出来事を聞いて脅威を感じ、イスラエルに対抗するために結集しました(1-2)。しかしアイよりも大きな町ギブオンとその周辺の町の人々は策略を巡らし、ヨシュアは主に伺うことなく、彼らのことばを信じ彼らと盟約を結ぶ誓いを立てしまいました(3-15)。三日後、ギブオンの民がこの地に住む者たちであると知り、民はその盟約に不平を漏らします。しかし、誓いのゆえに、彼らを奴隷とすることで不平を何とか治めました(16-21)。ヨシュアはギブオンの者たちを叱責し、奴隷として扱うと語ります。それに対して彼らは、主なる神がなされたことのゆえに、命だけは守られるように行動したと告白します。彼らは奴隷としてではありましたが主の選ばれる場所でも奉仕しました(22-27)。主に伺わなかったヨシュア、主を恐れて行動し主の働きの一端に関わるようになった異邦の民、私たちは何を思うでしょうか。

ヨシュア記 10章
約束の地の南方攻略の記録ですが、イスラエルと和を講じたギブオンに対して、エルサレムをはじめとする五つの国の王が集結し戦いを挑み、ヨシュアはギブオンを助けるため、約三十キロの道のりを夜通し駆け抜けました(1-7)。主はヨシュアに敵を渡したと語り、奇跡的な助けを得て、勝利を得ました(8-15)。五人の王は討たれ、主は敵をこのようにされると語ります(16-27)。マケダ(28)、リブナ(29-30)、ラキシュ(31-32)、ホラム(33)、エグロン(34-35)、ヘブロン(36-37)、デビル(38-39)を主の命令に従って、ヨシュアは聖絶しました。東の高地、南の荒野、低地、死海に下る傾斜地、さらには南方の荒野カデシュ・バルネアから地中海海岸のガザ、そしてユダの南部の町ゴシェンに至るまでの約束の地に進軍していくように主は導かれました(40-43)。主の約束が実現するためには前進しなければなりません。そして主の約束はやがて必ず実現を伴う約束です。

ヨシュア記 11章
前半は約束の地の北方攻略の記録です。ハツォルの王ヤビンを中心に、強力な武力を持つ王たちがメロムの水のほとりに陣を敷きました(1-5)。主は彼らをあなたがたに渡したゆえに恐れるな。そして、敵の武具を使用できないようにせよと命じ、ヨシュアは実行しました(6-9)。ヨシュアはハツォルを聖絶し、他の町々も戦利品を残して聖絶しました。それは繰り返し、主が語られたことばの通りであって、ヨシュアはそれを一言も省くことをしませんでした(10-15)。後半は、約束の地の領域について記録され、その完了の時まで戦いは長きに渡りました(16-18)。その間、イスラエルと和解したのはギブオンの住民だけであって、その他の国々は主によって頑なにされ、主のさばきにより聖絶されました(19-20)。一部を除き、この地はイスラエルの民に相続地と分割されることになりました(21-23)。自分に都合の良い部分だけを聞くような主への従い方をしていないだろうか。

ヨシュア記 12章
最初の部分には約束の地の東、すなわちヨルダン川を挟んで東側の領土における王の名が記録されます。ヘシュボンを拠点にヤボク川の南を支配していたアモリ人の王シホン(2-3)、ヤボク川の北を支配していたレファイムの生き残りバシャンの王オグの名が挙げられます(4-5)。これらの地は、ルベン人、ガド人、マナセ人の半部族が所有しました(6)。七節からは約束の地、ヨルダン川の西側にいた三十一人の王たちの名が記録されています。この地は残りの部族に分割されました(7-8)。南部から中部の地域の王たち(9-18)、カナン北部を支配していた王たちの名が記録されています(19-24)。約束の地に導かれたイスラエルの民は多くの王たちとの戦いを経て、約束の地を所有しました。それは主なる神様の命令により、主がともにおられたので勝利を得ました。私たちの人生も日々、罪や問題と戦いの中にあって、主にあって前進していく時に、勝利を得ることができます。

ヨシュア記 13章
この章から約束の地について各部族への分割が記録されます。年を重ね、九十歳を超えたであろうヨシュアに、神様はなお地中海岸や北部に獲得すべき地が残っており、各部族に約束の地を分割し、その働きを完了するように命じられました(1-7)。八節からは、ルベン人とガド人とマナセの半部族がヨルダン川の東に得た相続地についての記録が続きます(8-14)。この地はすでにモーセによって約束された彼らへの相続地で、ルベン族はヨルダン川の東側の南部(15-23)、ガド族は中部(24-28)、マナセの半部族は北部(29-31)を与えられました。最後に、レビ人は土地を与えられなかったことが語られますが、それはイスラエルの神、主が彼らのゆずりであったからとあります(32-33)。神の約束は必ず実現しますが、そのためにはいくつになっても信じて前進し続けなければなりません。また見える相続地はなくとも、主が主の働き人としてレビ人を守り支えられた恵みを覚えましょう。

ヨシュア記 14章
ヨルダン川の西側は九部族と半部族にくじによって相続地が分割されました。ヨセフの子孫はマナセ族とエフライム族に二分され、レビ族は相続地を持ちませんでした。これはモーセを通して主が約束されたことの成就でした(1-5)。六節からは、特別にカレブが相続地を獲得する出来事が記録されています。カレブは、ヨシュアとともにカデシュ・バルネアから偵察に遣わされた十二人の一人で、ヨシュアとともに主が約束の地を与えてくださると報告した片割れでした(民数記13-14章)。カレブは、モーセの約束に立って屈強な敵がいるヘブロン周辺の山地を求め、そのための力は主である神がともにあって与えてくださると信じていました(6-12)。ヨシュアはカレブを祝福し、ヘブロンを相続地として与えました。彼は神に従い通しました(13-15)。主がともにおられ、主は約束してくださった事を成し遂げてくださると信じ、主に従い、困難にも、力の限り前進し続けましょう。

ヨシュア記 15章
ユダ部族の相続地についてです。その境界線は、南はツィンの荒野(1-4)、東は死海沿いの南北、北はおおよそ死海の北端から西へ(5-11)、西は地中海岸線(12)でした。カレブはその信仰によりヘブロンとその周辺を勝ち取り、娘夫婦に二つの泉を与えました(13-19)。相続地の町々の名が出てきますが、同じ名前でも別の場所がありますので少し注意が必要です。十一の地区に分けられて記録されていますが、おおよそ南部の町々(20-32)、山地と平地の間の低い丘陵地帯シェフェラの町々(33-44)、西の地中海岸から平地の町々(45-47)、東の山地に属する町々(48-60)、荒野(61-62)、最後にエルサレムについてエブス人がともに住んだことが記録されています(63)。ユダ部族は、ダビデ、メシアにつながる血筋でエルサレムを含む領地に導かれ、荒野を含む広い地域を得ました。人に歴史があるように、土地にも歴史があり、そこにも主のみこころがあらわされます。

ヨシュア記 16章
ヨセフ部族の相続地について、ヨセフ族は弟のエフライムと兄のマナセ(半部族はヨルダンの東に土地を得た)に分かれて祝福を受けます(創48:4-6)。南の境界線は、エリコから西に山地のベテル、アタロテ(アテロテ・アダル)、ゲゼルなどを経る約八十キロになります(1-4)。さらにまずエフライム族の領域についての記録になりますが、あらためて南はアテロテ・アダル(アテロテ)から西へ上ベテ・ホロン(5)、次に、北から東に向かう町について記録されます。ここでのアタロテは先のアタロテとは別の町です(7)。さらに北から西に向かう町の記録が続きます(8)。なお北はマナセ族との境界となりはっきりしないところがありました(9)。彼らはゲゼルに住むカナン人は完全に追い出すことをしませんでした(10)。相続地は神様の約束の成就でしたが、戦いなしに与えられたのではありません。約束が現実のもとのなるためには信仰をもって前進し続ける必要があります。

ヨシュア記 17章
マナセ部族の相続地についての記録です(1-2)。マナセ族はヨルダン川の東に相続地を得ていましたが、マナセの長子マキルの子孫にあたるツェロフハデには娘しかいませんでしたが、彼女たちは相続の権利を主張し、ヨルダン川の西に相続地を得ました。結果的にマナセ族はヨルダン川の東西に相続地を得ました(3-6)。そのマナセ族の南の境界線は、エフライム族と共有し入り組んでいます(7-10)。また北はイッサカル族とアシェル族と境界線を共有します。彼らもすべてのカナン人を追い払うことはしませんでした(11-13)。ヨセフ族は大勢いるので与えられた土地では小さすぎると不平を言います。ヨシュアは山地も開拓するように命じます。そこには強力な武器を民がいますが、その力で打ち破るように命じました(14-18)。自分の現状にただ不平不満を言って何もしないのではなく、主の約束を信じて、大きな壁が立ちふさがっても信仰をもって勝ち取ってまいりましょう。

ヨシュア記 18章
約束の地のおおよそ中央にあたるシロの町に民を集め、ヨシュアは残りの七部族に、相続地の獲得についていつまで先延ばしにしているのかと語り、代表者たちに調査を命じます。ただしレビ族は主の祭司として仕えることが相続であると語られます。先住民への恐れから来る躊躇から現状維持への思いがでてきたのでしょうか(1-7)。書き記された土地はくじによって残りの部族に分割されました(8-10)。まず、ベニヤミン族の相続地は、ユダ族とヨセフ族の間で(11)、北の境界線はエフライム族と分かつ約四十キロ(12-13)、西は十キロほど(14)、南はユダ族と重なる四十キロほど、東はヨルダン川に沿った十キロほどの領域でした(15-20)。引き続き町々には、同名で違う町もありますので注意が必要です(21-28)。私たちにとっても、問題や約束を先延ばしにしていることがないでしょうか。主が前進し、勝ち取ることを求めていることは何でしょうか。

ヨシュア記 19章
残りの六部族の分割の記録です。シメオン族は最も人口の少ない部族で、ユダ部族の相続地の中に相続地を得ました(1-9)。ゼブルン族は四方を四部族に囲まれた相続地です(10-16)。イッサカル族は肥沃な平原を含む土地を与えられました(17-23)。アシュル族はイスラエルの北の地中海岸沿いの地域を相続し、港町もありました(24-31)。ナフタリ族はキネレテ湖を含む地域で、そこは、先のゼブルン、イッサカルと合わせて後にイエス様が過ごされた辺境のガリラヤ地方になります(32-39)。ダン部族はエフライムとベニヤミンの西にあたる海岸地域を与えられますが、その地を占領できず、そこを失い、ナフタリよりも北方のレシェム(後にダン)を所有することになりました(40-48)。最後にヨシュアにはエフライム族の相続地の中央にある町が与えられました(49-51)。各相続地に違いがあるように、私たちの受けているものもそれぞれですが主の導きがそこにもあります。

ヨシュア記 20章
逃れの町についての記録です。これは十戒授与後にも語られ(出21:13)、その後も繰り返し語られた大切な規定でした。それは、意図せず誤って人を殺してしまったものが、正当な裁判を受けずに復讐のために殺されることのないように逃げ込むことのできる町です(1-2)。その人は町の入り口で事情を述べ、その町に住み、会衆の前でさばきを正当に受けるまで、あるいは時の大祭司が死ぬことによって恩赦されるまで、その町に留まり、その後自分の町に帰ることできます(3-6)。およそどこからでも一日ほどの距離のヨルダン川の西に三箇所、東に三箇所が取り分けられました(7-8)。その町はイスラエルの子らだけでなく、在留異邦人のためでもありました(9)。命の重み、怒りから来る復讐でなく正しいさばき、そしてすべての人の権利という義と愛があることを覚えます。そして今日、私たちは怒りではなく、主イエスにあって赦すという愛の道があることを覚えます。

ヨシュア記 21章
レビ族には放牧地付きの居住地が各部族の中に与えられます。彼らはそこで宗教的な指導を担うことになります(1-3)。くじにより町々与えられた経緯が記録されます(4―7)。ケハテ族の祭司アロンの子孫のためには、南部のユダと、シメオン、ベニヤミン族の中から十三の町(8-19)、ケハテ族の残りの人々には、中央部のエフライム、ダン、マナセの半部族の中から十の町(20-26)、ゲルション族には、北部のイッサカル、アシュル、ナフタリ族と、ヨルダン川東のマナセの半部族の中から十三の町(27-33)、メラリ族には、ゼブルン族とヨルダン川東のルベン族、ガド族の中から十二の町が与えられました(34-40)。与えられた町々と放牧地の合計は四十八で、そこには六つの逃れの町が含まれていました(41-42)。まだとるべき地は残されていますが、土地の分割が終わり、主の約束は実現しました(43-45)。各地域に立てられている各教会の使命に心を留めましょう。

ヨシュア記 22章
約束の地の分割を終え、ヨルダン川の東に相続地を得ていた二部族半の者たちは、いよいよ自分たちの場所に帰ることになりました。ヨシュアは彼らに主なる神の命令に従い、主を愛し続けるように語り、戦利品を分かち合いました(1-9)。彼らはヨルダンを渡ると大きな祭壇を築きました。それを聞いたヨルダン川の西の部族は、彼らが早速、主なる神に反逆していると怒り、父祖たちの失敗と主のさばきを思い起こすように彼らを問いただします(10-20)。すると彼らはむしろ逆でお互いの子孫同士がイスラエルの民であることを忘れず、子孫たちが主を恐れることをやめないようにするためのしるしであると答えました(21-29)。この説明に祭司ピネハスたちは満足しました(30-34)。生きる場所は違っても同じ主をあがめる者たちが互いに分かち合い、主の愛から離れることがないように支え合いましょう。誤解から来る争いを避けるために速やかに話し合い理解し合うことも覚えます。

ヨシュア記 23章
相続地の分割を終えて、時が経ち、ヨシュアの死期が近づく中、彼は指導者たちを集め、主なる神がなしてくださった事を思い起こさせ、主が約束されたことを実現するために残された地を獲得する事、そして今もう一度、主が与えられたモーセの律法を守り行い、異教徒との結婚、偶像礼拝を避け、主にのみ頼り、主を愛して歩むように命じました。もしそうでないなら滅びを招くと、祝福と呪いが語られます(1-13)。そしてもう一度、告別のことばとして、心をつくし、いのちを尽くして主を求めること。主は約束されたことを誠実に、確かに実現されたことを覚えること、主から離れるならば滅びを招くこと、すなわち主が命じられたおきてを破り、他の神々に仕えるならば、主の怒りがあなたがたの上に降り、この良い地から滅び失せると語られました(14-16)。主の恵みを回顧し、主の命令に従い、主に信頼し、主を愛する者には未来が約束されています。

ヨシュア記 24章
ヨシュアは民に告別のことばを語ります。それは歴史の回顧、すなわちアブラハムの選びと出発から始まり、父祖たち、そしてモーセを通してのエジプト脱出、相続地の取得が主のわざであることを思い起こさせます。(1-13)。それゆえ今、あなたがたは、主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕え、他の神々に心を移してはならないと語ると、民は主を選びますと約束します(14-18)。しかしヨシュアは民の本性を見て、あなたがたは主にのみ仕えないと語り、民はそれを否定します。ヨシュアはもう一度、異教の神々を除き、主にのみ心を傾け、主にのみ仕えるように命じ、民とシェケムで契約を結び、証の石を立てます。そこはアブラハムやヤコブが祭壇を築き、またヨルダン川の石を立てた場所です(19-28)。ヨシュアは死んで葬られ、指導者たちが生きていた間は、イスラエルは主に仕えたとあります(29-33)。繰り返し語られます。主のなされたわざを思い起こし、主にのみ仕えよ!