エステル記

エステル記
歴史書の中におかれるエステル記は、南ユダの捕囚後、バビロンを滅ぼしたペルシアのキュロス王が、イスラエルの民を捕囚から解放した後の歴史が記されます。その出来事の舞台はペルシア帝国内で、時代的はクセルクセス王の時、すなわちエズラやネヘミヤの帰還を許可したペルシア王アルタシャスタ王の前の治世になります。この書が書かれたのは、それより後の紀元前四百年頃と多くの学者は考えます。内容は、時の王妃が失脚し、新しい王妃としてモルデガイの姪エステルが選ばれます。ユダヤ人の抹殺をたくらむ高官ハマンの策略でユダヤ人虐殺が公布されます。王妃となったエステルによって、ユダヤ人は虐殺を免れ、むしろ反対者たちが滅ぼされます。この出来事はプリムの祭りの起源となっています。エステル記には「神」や「主」という言葉は一度も出てきませんが、歴史を通して神はイスラエルの民を守り、約束を忠実に果たされるお方であり、神の摂理を覚えることができます。

エステル記 1章
クセルクセス一世(アハシュエロス)の治世の時(前486-465)、その領土はインドからクシュ(今日のスーダン辺り)にまで広がっていました。王は冬の宮殿があった今日のイランにあった町スサにいた時、半年以上に渡る大宴会を催しました(1-9)。王は酒で機嫌がよくなり、寵愛していた王妃ワシュティを宴会に呼びつけます。しかし、理由は分かりませんが、その時、彼女はそれを拒否しました(10-12)。それに激怒した王は、法律と裁判に関わる者たちにその処分を検討させます(13-15)。するとその一人メムカンが、その行為は国内に夫を軽視するという風潮を生み出す問題となりうるため、厳しく対処するように助言しました(16-20)。それは王の心にかない、ワシュティは王妃の位を退けられ、別の王妃が立てられることになりました。そして勅令が公用語のアラム語と各民族の言語に送られました(21-22)。人の営みを通して、歴史に働かれる神様の備えは進められています。

エステル記 2章
クセルクセス王の侍従たちは国中を探して新しい王妃を選ぶことを助言しました(1-4)。スサの城に、バビロンに捕囚の時エコンヤ(エホヤキン王)とともに連れてこられたキシュの子孫でベニヤミン族に属するモルデカイという人物がおり、彼は姪のエステル(へブル名でハダサ、ミルトスの木の意味)を養育していました(5-7)。エステルは王妃候補に選ばれ、監督官ヘガイから好意を得、とても良い扱いを受けました。彼女は叔父の助言に従い自分の事は明かしませんでした(8-11)。エステルは全ての人から好意を持たれ、王のもとに上る時には、すべてヘガイの言われた通りにしました。エステルは王に愛されワシュティに代わる王妃とされました(12-18)。時にモルデカイは門番として王の門でクセルクセス王の暗殺計画を耳にし、王妃エステルを通じて王に知らせ、事なきを得ました(19-23)。助言に耳を傾けること、すべての事に神様の時と計画があることを覚えます。

エステル記 3章
アマレク人のアガグ王の子孫という説もありますが、ハマンはクセルクセス王のもとで昇進し、権力を手にしました(1)。彼は高ぶり、王の命令もありましたが、人々は彼にひれ伏しました。しかしモルデカイは神以外のものにひれ伏すことを良しとしない宗教的理由か、ハマンの野心や政治的な思惑を見て取ったのか、周り者たちの進言にもかかわらず膝をかがめることはしませんでした(2-4)。ハマンはその態度に怒り、モルデカイもろとも彼の民族を根絶やしにすることを計画します(5-6)。ハマンはプルと呼ばれるくじを投げ、アダルの月にユダヤ人を滅ぼすこと決め、その費用も自ら出すことを約束し、王の承認を得ました(7-11)。そして、約一年後にユダヤ人を根絶やしにし、財産を奪う許可が王の名で発布されました。スサの都に住むユダヤ人も混乱に陥りました(12-15)。立てられたものに尊敬を表すことと傲慢に振舞う指導者にへつらうことを区別しましょう。

エステル記 4章
ユダヤ人を根絶やしにする法令が発布されて、モルデカイをはじめユダヤ人たちは大いに嘆きました(1-3)。その報告を受け、王妃エステルは事情を知るために側近を送りました(4-6)。モルデカイは事の次第をエステルに告げ、ユダヤ民族のために王にあわれみを求めるようにエステルに伝言を送りました(7-9)。エステルは、誰一人、召されていない者が王の前に出るなら死刑に処されること。金の酌が王から伸ばされれば許されること。自分はここ三十日間召されていないことを告げます(10-11)。モルデカイは、自分は王宮にいるから安心と思ってはならないこと。あなたが立ち上がらないなら別のところからユダヤ人のために助けが起こること。あなたはこのために遣わされたのかもしれないと告げます(12-14)。エステルは死もいとわず王の前に出ることを決断し、そのための断食を要請しました(15-17)。あなたはその時、そのために、そこにおかれたのかもしれません。

エステル記 5章
ユダヤ人の三日三晩に渡る断食の後、エステルは王の前に進み出ました。王は金の酌を指し伸ばし、彼女に好意を与えました(1-2)。王はエステルに何を望むのかと尋ねます。エステルは酒宴を設けるのでハマンとともにいらしてほしいと願いました。さらに、酒宴の席でも王は望むものは何かと尋ねます。エステルはハマンとお二人で明日の宴会にもう一度いらしてくださいと願います(3-8)。エステルは慎重に事を進め、その夜、事態が大きく動きます。一つは六章に記録されている王の出来事、もう一つがこの後のハマンの出来事です。宴会の後、ハマンは上機嫌で帰宅の途に就きますが、王の門のところにいたモルデカイが自分を恐れない態度に怒りを燃やしました。それを聞いた彼の妻と友人たちはモルデカイを磔にすることを提案し、その許可を王から得るように言いました(9-14)。信じて大胆に踏み出すことと祈りつつ慎重に進めることの両方が必要です。

エステル記 6章
酒宴の後、王は眠ることができず、王室の記録の書を読むように命じました。すると王の暗殺が企てられ、門番モルデカイによって阻止された記録が読まれました(1-2)。王はその功績に何か報いたのか尋ねるとまだ何もなされていないことが分かります(3)。ちょうど、そこにハマンがモルデカイを磔にするための許可を得ようと朝からやってきました。王はハマンに、自分が栄誉を与えたいと思っているものをどのように扱うべきか尋ねると、ハマンはそれが自分の事だと信じて疑わず、最高の方法を伝えます。すると王は間髪入れず、そのことをモルデカイに実行するように命じました(4-10)。ハマンは嘆きながら実行します(11-12)。それを聞いた妻と友人は、モルデカイがユダヤ民族の一人なら、彼には勝てないと語ります(13)。そしてついにエステルの第二回目の宴会が始まります(14)。自分よがりの計画はほころび、やがて崩れます。しかし神の計画は揺るぎません。

エステル記 7章
憎きモルデガイに栄誉を与えなければならなかったハマンは苦々しい思いで王とともにエステルの宴会にやってきたことでしょう。その席で王は前と同様に何か望みがあるかとエステルに尋ねます(1-2)。エステルはついに、私の同胞を助けて頂きたいこと。その命を奪うことは王国にとっても損失となると伝えます(3-4)。すると王はそのような企てをしたものが誰か問います。エステルはハマンこそがその人であると答えました(5-6)。その答えを聞くやいなや王は憤り、そこから退出しました。ハマンはエステルの足元にすがって必死に命乞いをしますが、その姿が王の決断を決定づけました。宦官の一人が、ハマンがモルデカイを磔にするために用意した柱がある事を伝えると、王はハマンをつけるように命じました(7-10)。身から出た錆。蒔いた種を刈り取る。悪しき計画は自らに帰ってきました。私たちの行動が絶えず主の前に正しく、愛の行動であるようにしたいものです。

エステル記 8章
ユダヤ人を根絶やしにしようとしたハマンは処刑され、彼の地位と彼の家はモルデカイに任されました(1-2)。王妃エステルは、王にユダヤ民族に対して出された証書を取り消してくださるように嘆願します。しかし王は発布された勅令は取り消すことができないこと。しかし新しい法令を発布する許可を与えました(3-8)。そこでエステルは、ユダヤ人から奪い根絶やしにしてよいという許可が出された第十二の月の十三日に、ユダヤ人が自分のいのちを守るために自衛する許可を発布しました。積極的に敵対するものを滅ぼすというような命令は出しませんでした(9-14)。モルデカイは王から与えられた服を身にまとい人々の前に立ちました。その姿はユダヤ人にとっては光と喜び、歓喜と栄誉となり、諸民族には恐れ、それが迫害を思いとどまらせることにもなりました(15-17)。憎しみに対して敵意ではなく、愛をもって打ち勝つことができますように。

エステル記 9章
ついに第十二の月(アダルの月)の十三日がやってきました。先のハマン法令に続いて新たな法令が発布され、ユダヤ人を恐れて大きな迫害は起こりませんでした。しかし、スサの宮廷内の反乱分子や諸州でも一部の敵対者たちが処分されました。ハマンの息子たちは柱にかけられました。しかしユダヤ人は略奪品には手を出しませんでした。スサでは十五日、他の諸州では十四日に感謝と喜びの祝宴が開かれました(1-19)。ユダヤ人を根絶やしにしようとくじ(プル)を投げたハマンの計画は破られ、ユダヤ人にとってアダルの月の十四日と十五日は安息を得た日、悲しみが喜びに、喪が祝いに変わった記念日としてプリム(複数形)と呼ばれました(20-28)。その定めの日は書簡によって周知され、この事を記憶するようにしました(29-32)。神様は嘆きを喜びに変えてくださるお方です。この方は今も働いてくださいます。そして私たちは主の良くしてくださった事を思い起こしましょう。

エステル記 10章
プリムの出来事の後のことが簡潔に記されています。あらためてペルシア王クセルクセス一世(アハシュエロス)の治世は紀元前四八六から四六五年ごろと言われます。その最後は暗殺され、その治世は決して華々しいものではありませんでしたが、ここにはその最盛期と思われる本土をはじめ、地中海にある島々を含めて税金や労役を課したことが記録されています(1)。この書が目を向けるのは王よりむしろモルデカイの働きであり、それはペルシアの年代記にも記録されました(2)。そのモルデカイに与えられた立場、その働きのゆえに、彼は同胞たちに敬愛され、そしてモルデカイも民の幸福を求め、平和を語り続けた姿をもってこの書は閉じられます(3)。この書には確かに「神」の名は出てきませんでしたが、エステルやモルデカイを通して働かれる不思議な神様の導き、摂理を見てきました。目には見えない神様の確かなご計画があります。今もそのお方は生きて働いておられます。