オバデヤ書
オバデヤ書は預言書中、最も短く、前半はエドム人へのさばき、後半は主の日における全世界へのさばきと神の民の勝利が語られます。エドム人は、ヤコブの兄エサウの子孫で(創25:23)、死海南東に住み、イスラエルとは親戚関係になります。彼らは高ぶり、またエルサレムが惨事に見舞われた時、助けるどころか、略奪します。それゆえ主はエドム人をさばかれます。預言者オバデヤについては何も語られず、旧約聖書の中に十名以上のオバデヤの名が登場しますが、同一視できる人物についても定かではありません。執筆年代も議論が分かれ、エルサレムの惨事とエドムの関連でヨラム王の治世(前850年頃)やエルサレム陥落(前586年頃)などの見解が出されます。エレミヤ書四十九章との類似点も指摘されます。私たちはエドムの高ぶりの姿に人類の姿を重ね、主の日は「王国は主のもの」(21)という言葉を完全に実現することを信じつつ、今も主権は人にではなく、主にあることを告白します。
オバデヤ書 1章
オバデヤを通してエドムに対する宣告です。彼らは岩山に住み堅固な守りに安住し、誇っていました。しかし主は彼らの高ぶりを引きずり落とします(1-4)。彼らは徹底的に奪われ、欺かれ、そのさばきの日は知恵ある者の知恵も空しく、勇者も力を失います。彼らはイスラエルが外国から侵略された時、それを素知らぬ顔で眺めていました(5-11)。兄弟の苦難をあざ笑い、むしろそれをいいことに略奪、敵に引き渡すような事さえします。しかし、主の日には、すべての国々が神のさばきの前に立たされます。自分がしたように報いが返されます(12-16)。主の日には、主に従う残りの民、真の神の民がエルサレムに立ち、そこは聖とされます(17-18)。またイスラエル全土は東西南北に回復され、主の王国が堅く立ちます(19-21)。神に敵対し、高ぶる国民は打ち砕かれ、神の民は回復されます。そして、やがて神の国が完成し、全世界が王権は主のものであることを知らされます。