参考資料:「バイブルナビ」(いのちのことば社)、「これだけは知っておきたい聖書の歴史」(CS成長)、「新聖書注解 新約1」(いのちのことば社)
はじめに
私たちの手にしている聖書は、新約聖書(マタイの福音書)と旧約聖書(マラキ書)が、一枚の紙で仕切られていますが、そこにはおおよそ400年の時が流れています。この期間を、一般に「中間時代」と呼びます。私たちは旧約聖書の最後マラキ書を読んだ後、マタイの福音書を読むと、マラキ書に描かれている世界とイエス様が生きた時代に大きな違いがあることに気がつきます。すなわち、すでにバビロン、アッシリヤ、ペルシヤといった国々の支配は終わり、代わりに、ローマ帝国が台頭しています。その時代、ローマ帝国の支配は、地中海から北アフリカ、そしてヨーロッパにまで伸びていました。それは「パックス・ロマーナ」(ローマの平和)と言われるように、ある意味での平和が訪れていました。そんな中、マラキ書においては、バビロン捕囚後に神殿が再建され、礼拝の中心は神殿でしたが、新約の時代は、神殿だけなく、礼拝は、国中に行き渡っていた各会堂(シナゴーグ)でも行われるようになっていました。さらに、神殿の祭司たちも、引き続き、指導的立場にはいましたが、新約の時代は、パリサイ派、サドカイ派、律法学者といった、新たな宗教的権威も存在し、彼らもまた力を奮っていました。そして、その上に、最高議会(サンヘドリン)がおかれ、宗教的最高裁判所の役割を果たしていました。そして、何より、かつてのような預言者と呼ばれる人々の不在です。まさしく、旧約と新約の間には、神の代弁者としての預言者が一人も現れませんでした。確かに、ダニエル書の一部には、この時代に重なる夢や幻が一部、登場します。しかしこの期間は、まるで、神様が沈黙しているかのようにも見えます。しかし、この400年の間も、主なる神様は働かれ、そして、イエス様の誕生に向かって時と場所が備えられていきました。その舞台設定、特に新約聖書の背景を知るために、この中間時代を確認しておくことは大切なことです。
Ⅰ.ペルシヤ時代(前539―336年)
キーワード:神殿(儀式)から会堂(律法)、律法学者、サマリヤとユダヤ
ペルシヤの王クロスは、その統治の1年目に、イスラエルの民を捕囚から解放し、祖国へ戻ることを奨励しました(エズラ1章)。さらに、その後継者ダリヨス王もその政策を支持しました(エズラ6章)。そういった意味では、ユダヤ人は比較的平和に過ごしました。その中で、この時代には、いくつかの重要な発展が宗教習慣に現れています。それは、長年の捕囚の結果、ユダヤ人は、ペルシヤ帝国の至る所に広がった会堂で礼拝するようになっていきました。その新しい習慣は、帰還が許され、神殿が再建された後も続きました。引き続き、祭司たちが神殿で奉仕し、いけにえの儀式を行っていましたが、同時に、会堂での礼拝が行われました。そこでは律法の学びが中心となり、律法学者たちが律法の保存者および解説者となりました。そして、この時代、ユダヤ人とサマリヤ人との軋轢が深まりました。すなわち、バビロニヤ捕囚の間に取り残されたイスラエル人の子孫であるサマリヤ人は、バビロニヤ人やシリヤ人など、他民族との結婚により混血が起こり、さらに、礼拝も異教の影響を受け、礼拝に異教的要素が入ることになりました。そして、ユダヤ人はエルサレムに神殿を再建しましたが、サマリヤ人はそれに対抗してゲリジム山に神殿を建てることになりました。この宗教的、民族的対立は、新約の時代にまで及ぶことになりました(ヨハネ4:19-22など)。
Ⅱ.ギリシヤ時代【ヘレニズム時代】(前336―165年)
キーワード:ヘレニズム、ギリシヤ語、七十人訳聖書、エピファネス、マカベア
ペルシヤがアレクサンドロス大王に敗北したことにより、東方大帝国の時代が終焉します。このアレクサンドロス大王こそ、ダニエルが預言した「雄やぎの一本の角」であると考えられます(参:ダニ8:5)。そして、この西方の帝国、地中海と中東を支配し、インドにまで勢力を伸ばすことになります。アレクサンドロス大王は、征服した多様な民族を共通の文化のもとに統合する政策をとりました。ところが、アレクサンドロス大王は突然、病死します。それにより彼の帝国は、四人に将軍たちに分割されます。その一人プトレマイオスが、エジプトとイスラエルを支配します(参:ダニ11:1-5)。このギリシヤ、プトレマイオスによる支配は、政治的な面ではユダヤ人にそれほどの影響を与えませんでしたが、文化的には、大きくギリシヤ(ヘレニズム)の影響を与えることになりました。
①プトレマイオス王朝支配の時代
プトレマイオスⅠ世は、アレクサンドロス大王の政策を引き継ぎ、あらゆる方法で、ギリシヤの言語と思想を奨励しました。それゆえユダヤ人たちも、すぐに貿易のためにギリシヤ語を話すようになりました。プトレマイオスⅠ世は、最初こそユダヤ人に厳しくしましたが、後に友好になり、さらにプトレマイオスⅡ世の時にはいっそう、友好的となりました。彼は、アレキサンドリヤに大きな図書館を設立します。さらに、この時代に重要な出来事は、ユダヤ人学者の一団が、旧約聖書をヘブル語からギリシヤ語に翻訳しました。これは70人訳聖書と呼ばれ、あらゆる場所のユダヤ人に用いられるようになりました。イエス様や、他の新約記者たちも、この70人訳から聖書を引用しています。しかし、プトレマイオスⅣ世の頃になると、北のセレウコス王朝が力を増し、不穏な空気が漂ってきます(参:ダニエル11:6-16)。またこのころローマが少しずつ力をつけ始めてきます。
②セレウコス王朝支配の時代
プトレマイオス四世の死後、北のアンティオコス三世(セレウコスのひ孫)が南下しパレスチナを支配におく。彼は最初ユダヤ人に寛大な政策をとるが、続く、セレウコス四世、そして、その弟のアンティオコス四世エピファネス(ダニエル11:20)は、ユダヤ教を完全排除しようとして、神殿を荒らし、破壊を行った(参 ダニ8:23-24)。
この王は、ギリシヤ化を強制し、主へのいけにえを禁止し、割礼を非合法化し、豚肉を食べることを強制し、安息日や祝祭日を中止させた。ユダヤ人の中にも、そんな王にさえ協力しようとする者もあれば(ヘレニスト)、一方に、そのような横暴に立ち上がるものが起こった(ハシディーム【敬虔な者たち】)。
老祭司マッタティアスは、異教のいけにえをささげるように要求された時、それを拒否し、さらには、シリアの役人と、敵になびいたユダヤ人を殺し、山に逃げ、各地のユダヤ人に反乱を呼び掛けた。最初の頃の戦いでは、ユダヤ人は安息日に戦わなかったため、およそ1000人が殺されるということもあったが、その後は、自分たちを守るためにも安息日も戦うという方針を取った。彼らは、度重なるゲリラ戦を繰り返し、ついに、息子シモンを参謀に、そして同じく息子のユダ・マカバイオス(マカベア)を指揮官に、独立を勝ち取り、エルサレムを奪還し、神殿を修復し、宮きよめを行った(参 ヨハネ10:22)。そして、ついには、セレウコス支配が終わった(ダニ8:25)。この時の出来事は、旧約聖書の外典「マカベア書」に記録がある。その後、シモンが大祭司として選ばれる。
Ⅲ.マカベア(ハスモン王朝)時代 (前165―63年)
キーワード:マカベア、サドカイ派、パリサイ派、エッセネ派、ローマ帝国
シモンの息子ヨハネ・ヒルカノスは、ユダヤの領土を拡大した。ソロモン王朝以来、この時ほど広大な領土を支配した王はいなかったと言われる。ハスモン朝(歴史家のヨセフスによるとハスモンという名は一族の先祖、祭司マタティアの祖父の名前に由来しているといわれる)とも呼ばれるマカベアの政治王朝は、王座と大祭司の職を共に引き受けた。
結果的に、国家は内部抗争に悩まされる。サドカイ派はハスモンの支配者を王としても、大祭司としても支持したが、パリサイ派は真の王はダビデの子孫だけであり、大祭司はアロンの子孫だけであると主張した。またエッセネ派の創始者(死海文書を後世のために保存した共同体)は、ハスモン朝への反発としてクムラン共同体をこのころ創始したとも考えられている。そして、ハスモン朝の後継者たちは人気を失い、国は次第に不安定になった。
Ⅳ.ローマ時代(前63―紀元135年)
キーワード ローマ帝国、パリサイ派、サドカイ派、整えられた舞台
ユダヤ国内の混乱は、着々と拡大してきたローマ帝国に抵抗する力を失い、前63年にポンペイウスがイスラエルを略奪し、再びユダヤ人は異国の支配者の下に置かれ、ローマの属州となった。ローマの支配の下、祭司制度はなんとか守られたが、政治の権利は皇帝によって任命されたイドマヤ人(エドム人)アンティパルの手に移った。アンティパルは、ヘロデ(聖書には何人かのヘロデが登場する)をガリラヤの知事に任命した。後に「ヘロデ大王」と呼ばれるこの人物の時に、イエス様は誕生することになる。ヘロデはローマに取り入って、ユダヤ人の王に任命された。彼はハスモン家の娘マリアムネを妻として迎え、ユダヤ人の歓心を買おうとしたが、それは成功しなかった。ヘロデは有能であったが、残虐で、ハスモン家を絶滅させようとして妻の3人の兄弟をすべて殺し、最後にはその妻までも殺してしまった。これが、主イエス・キリストが生まれた時の王である。
さて、ここについに中間時代が終わり、福音書が語り始める。ユダヤ人はローマ帝国の下にあって、確かに礼拝の自由を許され、自らの事柄を監督するための限られた権威は許されていたが、それは満足のいくものではなかった。彼らは、旧約の預言にあるように、自分たちを解放するメシヤ、再び、ダビデ王の時のように、偉大な国家となることを夢見ていた。とはいえ、ローマの支配は、ある意味で、世界の平和と安全を保障し、主要道路の設備は人々の往来を容易にし、ギリシヤ語が多くの人々の共通言語として意思の疎通を容易にした。そこにはまさに、福音の備えがなされていた(ガラテヤ4:4)。
宗教界について言えば、大祭司が力を持ち、最高議会(サンヘドリン)で宗教問題が議論された。当時、ユダヤには2つの主な宗教派閥が存在し、パリサイ派は律法を尊重し、律法を日常生活に厳格に適用した。また彼らは、超自然、御使い、復活を信じていた。サドカイ派は合理主義者で、世俗的、政治的関心に集中した。彼らはモーセの律法の逐語的な解釈は信じつつも、実際、宗教には懐疑的で、超自然と復活を否定した。どちらの立場においても、イエス様の存在は不都合であって、イエス様を殺害することで意見が一致した。もちろんそれは、大きな意味では、神様の計画の成就であった。