列王記
サムエル記に続くイスラエルの歴史が描かれます。ソロモンの後、イスラエルは10部族による北イスラエル王国と、ユダ族とベニヤミン族による南ユダ王国に分裂します。そして、北王国は紀元前721(学者によって誤差あり)年にアッシリア帝国によって、南王国は前586年にバビロン帝国によって滅ぼされます。その間、北王国には19人の王、南王国には20人の王が立てられます。おそらく、この書物は様々な資料によって段階的に編纂されたと考えられます。「第一」はソロモンによる神殿建設、彼の信仰の後退などが描かれ、彼の息子レハブアムの時に国は南北に分裂します。北王国はヤロブアムが王として立てられます。後半には預言者エリヤの働きが描かれます。「第二」はエリヤに続く預言者エリシャの働き、北王国の滅亡、南王国の滅亡が記録されます。歴代誌同様、歴史に働かれた神を覚え、このお方に従うとはどういうことかを思い巡らしつつ、特に預言者の働きに目を留めましょう。
第二列王記 1章
この章にはアハブ王の子アハズヤ王の治世が述べられていますが、北王国のアハブ王の死後、ヨルダンの南東のモアブが反旗を翻します(1)。そんな折、アハズヤ王も欄干から落ちて重体に陥ります。その時、彼はペリシテ人の町エクロンの偶像に伺いを立てるという行動に出ます(2)。その使者のもとにエリヤが遣わされ、「イスラエルに神がいないためか」(3)アハズヤ王は「必ず死ぬ」と告げます(4)。アハズヤ王は、エリヤを捕らえるために兵士たちを遣わしますが、最初の部隊も、続く部隊も火で焼き尽くされます(10)。三番目に遣わされた隊長は、エリヤの前にひざまずき、懇願し、それが聞き入れられます(13)。エリヤはアハズヤ王にもとに向かい、主のことばをそのまま語り(16)、それが実現します(17)。アハズヤ王の後は、彼の兄弟のヨラムが継ぐことになりました。偶像に頼るか、神のことばの権威にひれ伏すか、私たちの人生はどちらでしょうか。
第二列王記 2章
この章にはエリヤの働きを引き継いだエリシャの姿が描かれます。これは後継者問題ともいえます。エリヤはエリシャを連れてギルガルに向かい(1)、さらにベテル(2)、エリコ(4)、ヨルダン(6)に向かいます。それらの場所には預言者の共同体があったと思われますが、その都度、エリヤはエリシャにそこにとどまれと命じますが、エリシャは「あなたから離れない」と徹底してエリヤに従い続けました。さらに、ヨルダン川において、エリシャはエリヤに「あなたの霊のうちから、二倍の分を私のものにしてください」(9)と長男が受け継ぐ二倍の分け前を求め(申21章)、神の賜物を受け継ぎ、正式な後継者となっていきます(14)。その力は水質を変え(22)、主の働き人をけなすもの(22)に対する厳しいさばきが実現することによっても明らかにされました(23)。私たちにとって、委ねるべき働き、委ねられる働き、そこで従うこと、求めることとは何でしょうか。
第二列王記 3章
この章にはアハブの子ヨラム王(1章のアハズヤ王の兄弟)の治世について描かれます(1)。彼は父ほどではないにしろ「主の目に悪」を行う王でした(2)。バアルの神を取り除きましたが、初代北王国のヤロブアム王が作った金の子牛は残しました(3)。1章の時と同様ヨルダン川を挟んで南東のモアブが反逆したため、彼は南ユダの王ヨシャファテ(7)、さらにはモアブよりも南のエドムと共闘して、南から北上してモアブを攻めます(8)。しかし、それによって水不足に悩まされます(9)。すると家来の一人がエリシャの存在を告げます(11)。エリシャは南ユダ王ヨシャファテに免じて、主のことばを告げ(16)、おそらく大雨によって川の水が満たされます(20)。さらに、朝日に反射した赤い水を同士討ちと勘違いしたモアブ人たちは誘い出され(23)打ち破られます(24)。どんなに人間の思惑がうごめいても、主のことば、主のご計画が前進することを覚えましょう。
第二列王記 4章
この章には、預言者エリシャが行った奇跡が記録されています。まず1節から7節においては、預言者仲間の貧しいやもめのために行われた奇跡で、二人の息子が借金をかたに奴隷にさせられそうになりますが(1)、彼女が持っていた油の器からはじまり(2)、沢山の器を油で満たし、必要を満たしました(6)。第二の奇跡は、8節から37節において、裕福な、そして預言者を敬う女性に対する奇跡です。その奇跡は、子がいなかった彼女に息子が与えられ(16)、またその子が生き返る(36)という奇跡でした。最後に38節から44節においては預言者仲間のために、食物の毒が消され(41)、またパンが増えるという奇跡でした(43)。これらの奇跡は決してエリシャの力を誇示するためのものではなく、主のことばの確かさであり(44)、何より彼を通して主が様々な人々を養い、また支えておられることを覚えます。そして今日も、私たちの必要を満たし、支えておられることを心に留めましょう。
第二列王記 5章
アラム国の軍団長ナアマンは女奴隷からサマリアにいる預言者ならばツァラアト(皮膚に現れた病)をいやせると聞きます(3)。彼のためにアラムの王は手紙と持参金を持たせて、イスラエルの王のもとに送り出します(5)。エリシャは、ナアマンに、ヨルダン川に行き、七度身を洗うように命じます(10)。ナアマンは、自分が思ったような方法ではないことに怒りますが(11-12)、彼のしもべは難しいことではないとなだめます(13)。そして、彼はエリシャのことばに従って、きよめられます(14)。ナアマンは、主に従うことを約束し、ただ王が異教の神を礼拝する時に付き添わなければならいことについては赦しを得ました(18)。エリシャは贈り物を受け取らなかったにもかかわらず(16)、従者ゲハジは欲に目がくらみ(22)、さばきを受けます(27)。私たちは、自分のやり方ではなく、主の方法に従う時、また自分の欲ではなく、主に従う時に主のみわざを味わうのです。
第二列王記 6章
エリシャは、預言者中仲間が水に落としてしまった斧の頭を浮かせるという奇跡を行います(1-7)。続く8節からはアラムの王がイスラエルに戦いを仕掛けますが、アラム王の策略(8)は、ことごとくエリシャによってイスラエルの王に告げられます(9-12)。アラムの王はエリシャを捕らえるために大軍を遣わし(14)、召使いはそれを見て怯えますが、エリシャは天の軍勢が共にいるゆえに恐れるな(16)と語り、召使いの目が開かれます(17)。アラムの軍勢は目をくらまされ(18)、北王国の首都サマリアに連れていかれ(20)、もてなされ(22)、しばらくの平穏が訪れます(23)。続く24節からは再びアラムによる侵攻が次の章まで続きますが(24)、サマリアでは飢饉も起こり(25)、母が子を食べという悲惨な状況の中で(28)、イスラエルの王は預言者エリシャそして神に怒りを燃やし、使者を遣わします(31)。私たちの目は何を見て、何に開かれているでしょうか。
第二列王記 7章
アラム軍に包囲され、さらに食糧難の中にあるサマリアの町に対して、エリシャを通して主はこの状況を回復すると語られます(1)。しかし、王の侍従は絶対にあり得ないと主張しました(2)。3節以降はそのことが実現するために何が起こり、そのためにツァラアトに冒されていた四人の者たちがいかに用いられたかが記されています。彼らはダメ元でアラムの陣営に入り込むと(4)、主がすでにアラム軍を退散させ(6)、そこには食べ物や金銀が残されたままでした(8)。彼らはこの「良い知らせ」を自分たちだけのものにしてはいけないと町に知らせます(9)。はじめは王も半信半疑でしたが(12)、偵察隊を送り(13)、そのことが事実であることが分かります(15)。人々は食物に殺到し、それによって信じようとしなかった侍従の死が実現します(20)。自分に与えられている恵みを自分だけのものにすべきでしょうか。「絶対無理」と神への不信仰がないでしょうか。
第二列王記 8章
エリシャはかつて息子を生き返らせた裕福な女性(4章)に対し、飢饉のゆえにこの地を去るように勧め(1)、七年後、彼女たちには元の生活の備えがなされます(6)。主の憐れみです。7節からはアラムの王ベン・ハダドと部下ハザエルの出来事ですが、これは第一列王記19章のエリヤの預言の成就につながります。ベン・ハダド王の病は治りますが、ハザエルの謀反によって死を迎えます(10)。やがてハゼエルはイスラエルを苦しめるゆえに、エリシャは涙を流します(12)。16節以降は南ユダ王国の二人の王の歴史が紹介されます。二人とも北王国のアハブ王の影響を受け悪い王でした(18、27)。罪の影響はその人だけでなく、その周辺にまで影響を及ぼします。ヨシャファテの子ヨラム王(北王国もヨラム王)の時は、エドムとの戦い(20)、またヨラム王の子アハズヤ王(24)の時は、北王国のヨラム王と協力してアラムと戦いました(28)。私たちは罪の問題を軽く考えてはなりません。
第二列王記 9章
エリシャは預言者の一人を呼び、ニムシの子ヨシャファテ(南ユダ王とは別人)の子エフー(2)に油を注ぎ、アハブの子ヨラム王に代わって北王国の王とするように告げます(3)。部下たちは隊長エフーに従い(13)、14節以降で実行します。先の8章ではアラムのハザエルが、この章ではエフーがアハブ家の偶像礼拝のさばきのために遣わされます(Ⅰ列19:17)。ヨラム王は、ハザエルとの戦いのため傷を負い、イズレエルで療養中(15)でしたが、父アハブ王が謀略をもってナボテから奪った(Ⅰ列21章)土地で殺されます(21)。そして、南ユダの王アハズヤも巻き添えになり殺されます(27)。彼の母はアハブ王の娘でした(8:26)。そして、アハブ王の妻であり偶像礼拝を持ち込んだ女王イゼベルにも預言の通りの死が訪れます(Ⅰ列19:23-24)。主の語られたことは必ず実現します。主は決して罪のさばきをそのままにされるお方ではありません。主の前に悔い改めるべきことはなんでしょうか。
第二列王記 10章
エフーはアハブの家に属する者たちを徹底して滅ぼします。1節から11節では、アハブ家の中から新しい王を立てるように挑発し(3)、町の有力者たちが手を下します(7)。また、アハブの関係者も徹底して滅ぼされます(11)。主のことばの通りです(10)。12節から14節では、アハブ家の親類にあたる南ユダ王アハズヤの身内も滅ぼされます。15節以降には、バアル宗教に属する者たちを徹底的にエフーが滅ぼす様子が記されています。エフーは、自分は大いにバアルに仕える(18)とバアル信者たちを安心させ、策略をもって信者も祭司も滅ぼします(19)。そして神殿を破壊し、そこを便所とします(27)。確かに、エフーはアハブの家、バアル宗教を滅ぼすために熱心でしたが、初代の北王国ヤロブアム王が犯した金の子牛礼拝から離れず(30)、その治世は四代までと言われます(30)。そして、着実にイスラエルは衰退に向かいます(32)。私たちの信仰は中途半端ではないでしょうか。
第二列王記 11章
ここからはしばらく南王国の歴史になります。アハブとイゼベルの娘アタルヤ、その子南王国のアハズヤ王はエフーに殺されます(10章)。するとアタルヤはすぐに残りの王族を殺します(1)。自分の一族を滅ぼしてまで実権を握ろうとする残忍さです。しかし、ヨラム王(アタルヤの夫)の娘、アハズヤの妹エホシェバ(祭司エホヤダの妻/Ⅱ歴代22:11)は甥にあたるヨアシュ(アタルヤの孫)だけを隠します(2)。その間はアタルヤが治めます(3)。4節以降には、祭司エホヤダが中心となって、ヨアシュを王とする様子が描かれます。ヨアシュの警護を固め(4-8)、即位を宣言し(9-12)、アタルヤを打ち(13-16)、主との契約を確認させ(17)、バアルの神殿を打ち壊し(18)、ヨアシュ王は7歳で即位します(21)。聖書は赤裸々に人間社会の様子、そこには権力争い、欲望、策略といった罪の現実を描きます。私たちはそのような世界で、主の前にどのように生きているでしょうか。
第二列王記 12章
南ユダ王国ヨアシュ王の治世について、彼は7歳で王に即位し、祭司エホヤダに支えられている間は、主の前にかなうことを行いました。ただし、各地にあった祭壇である高き所を取り除きませんでした(1-3)。彼は神殿の修復を行います。最初、そのことは正しくなされませんでしたが、改善され、ささげものとその使途が定められ実行されました(4-16)。17節からは外交ですが、アラム国のハザエル王の脅威が続き、彼は先祖たちが神殿に納めたものを貢物として渡すという政策をとりました(17-19)。神殿修繕とは対照的にも思えます。彼は謀反によって死を迎え、息子アマツヤがその後を継ぎました(19-21)。第二歴代誌24章に目を向けると、彼は祭司エホヤダの死後、偶像礼拝に走り、それを批判したエホヤダの子ザカリヤをも殺しました。どこか彼の信仰はうわべだけの、自分と神様との関係ではなく、その時々に流されていく姿に見えます。私たちはどうでしょうか。
第二列王記 13章
北王国のエフーの子エホアハズ、その子ヨアシュの治世が描かれます。二人とも主の目に悪を行い、初代北王国ヤロブアム王が犯した金の子牛礼拝から離れませんでした(2、11)。しかし、主はその父祖たちのゆえに憐れみを注ぎ続けました(23)。エホアハズ王は、アラムの王ハザエル、その子ベン・ハダドによって苦しめられますが、主の憐れみによって助けられます。にもかかわらず偶像アシェラからも離れませんでした(3-7)。その子ヨアシュも同じでした(8-13)。さて、エリシャの死が迫り、ヨアシュ王はエリシャを訪ね、弓と矢を持ち、それで射るように、また地を打つように命じられます。ヨアシュ王は三度でやめますが、もっと打ったならアラムを滅ぼせたと語られます(14-19)。エリシャは死に、その骨を通してさえ奇跡が起こり、ヨアシュに語られたことばは実現します(20-25)。主の憐れみを覚え、また主の前にもっと大胆に期待すべきことは何でしょうか。
第二列王記 14章
この章では南王国の王ヨアシュ(11-12章)の子アマツヤの治世と北王国のヨアシュ(13章)の子ヤロブアムの治世が描かれます。アマツヤ王は父同様に高き所はそのままでしたが、主の前にかなうことを行いました(1-4)。一つの例はモーセの律法に沿って判断しました(5-6)。彼はエドム人を打ち(7)、その勢いで北王国にまで戦いを挑み、捕らえられ、エルサレムの破壊をもたらしました(8-14)。彼は父同様に謀反で殺され、その子アザルヤ(別名ウジヤ)が王となりました(18-22)。次に北王国ヨシュア(15-16)の子ヤロブアムの治世ですが、彼はその父祖たち同様、初代北王国ヤロブアム王の金の子牛礼拝から離れず、主の目に悪を行いました(23-24)。それでも主はイスラエルをあわれみ、彼を通して民を救い、領土を回復させました(25-28)。その子ゼカリヤが後を継ぎました(29)。主の憐れみを忘れず、主の目に自分がどうあるか思い巡らしましょう。
第二列王記 15章
この章では、南ユダ王国の二人の王と、北イスラエル王国の五人の王の治世が記録されてます。南王国のアザルヤ(ウジヤ)王(1-7)、北王国のゼカリヤ王(8-12)、シャルム王(13-16)、メナヘム王(17-22)、ペカフヤ王(23-26)、ペカ王(27-31)、そして南王国ヨタム王(32-38)です。さて、南王国の王については、父が行ったように主の目にかなうことを行ったが(3、34)、高き所は取り除かず、(4、35)。ユダ王の歴代誌に記録され(6、36)、先祖とともにダビデの町に葬られました(7、37)。対して北王国の王は、先祖たちのように主の目に悪を行い、特に北王国初代のヤロブアム王の金の子牛礼拝を行い(9、18、24、28)、その死は穏やかではありませんでした(10、15、25、30)。なお北王国のエフー家が四代しか続かなかった(12)のは預言の通りでした。ぜひ歴代誌の並行箇所も読みつつ、自分のこれまで人生は主の前にどうだったか振り返ってみましょう。
第二列王記 16章
この章では南ユダ王国アハズ王の治世について述べられています。彼は多くの南王国の王たちとは違い、主の目にかなうことを行わず、異教的習慣をも行った王でした(1-4)。彼の治世の時、アラムの王レツィンが、北王国のペカ王とともに攻めてきますが、アハズ王は神により頼むよりも、アッシリアのティグラト・ピレセル王に助けを求め、貢物を納めました(1-9)。彼はアッシリアの王に会うためアラムの首都ダマスコに上った時、そこにあった異教の祭壇を見て、エルサレム神殿にあった祭壇を脇にのけ、異教の祭壇を作り、用いるように命じました(10-18)。それでも彼は死んだ時、先祖たちとともにダビデの町に葬られ、彼の子が後を継ぎました(19-20)。これだけ主の目に悪しきことを行いながら、南王国はダビデ王の系図が継承されました。しかし、確実に国は蝕まれていきました。主の憐れみをないがしろにしてはなりません。わずかな罪もそのままにしておいてはなりません。
第二列王記 17章
この章では北王国の滅亡が述べられています。北王国のホセア王の時に、ついに北王国はアッシリア帝国によって滅ぼされます(1-6)。その原因は、預言者を通して語られた主のことばを無視し、真の神を裏切り、偶像の神々に仕えたからでした(7-18)。これは、程度の差こそあれ南ユダにも言えることでした(19-20)。イスラエルは、ダビデ、ソロモン王の後に南北の分裂が起こり、北王国では初代の王ヤロブアムの金の子牛礼拝が続けられ、ついにアッシリアによる滅亡につながりました(21-23)。アッシリア帝国は人々を自国に連れていくだけでなく、自国民をその被征服地に移住させ、それにより混血、宗教混合を起こさせました。サマリアでは主を礼拝しながら、「同時に」他の偶像を礼拝することがますます盛んとなります(24-33)。「神のみ」を恐れよという契約は破られ続けたのです(34-41)。私たちの信仰はどうでしょうか。どっちつかずの信仰を主は見過ごされません。
第二列王記 18章
この章では南王国のヒゼキヤ王の治世について述べられていますが、彼の父アハズは悪い王でしたが、彼はそれまでの南王国の王たちの中でも徹底して主に信頼した王の一人で大きな祝福を得ました(1-8)。さて、彼の治世の時、前章で見たように北王国がアッシリアによって滅ぼされ、その脅威が南王国にも迫ってきました(9-12)。アッシリア軍がエルサレムの南西にあるラキシュにまで近づいた時、ヒゼキヤは貢物を送りますが(13-16)、アッシリアの王は部下と大軍をエルサレムに送り、ヒゼキヤたちに「何により頼んでいるのか」(19)と脅しました(17-27)。さらに民を揺さぶるために、お前たちの生活を保障する、神々により頼んだほかの国を見ろ、と自分たちの力を誇示し続けました。しかしその声に民は沈黙をもって答えました(28-37)。私たちの心も「お前は何により頼んでいるのか」と揺さぶられることもあります。その時、黙って主を待ち望むことができるでしょうか。
第二列王記 19章
アッシリア軍によるエルサレムの包囲、そしてそしりの言葉を告げられたヒゼキヤ王は、すぐに預言者イザヤのもとに使いを遣わします(1-4)。イザヤを通して主はアッシリア軍の撤退の預言を告げられます(5-7)。一旦は撤退しながら、クシュ国の脅威が迫る中で、アッシリアの王は何とか南王国の問題を片付けようと再び脅しの手紙を送ります(8-13)。ヒゼキヤ王は、主の前に出て、あなたこそ神であるゆえに必ず私たちを救い出してくださいますと祈ります(14-19)。主はヒゼキヤ王に、この状況さえすべて神の計画の内にあり(20-28)、回復の時が訪れ(29-31)、そしてアッシリア軍は撤退する(32-34)と語られます(イザヤ37章)。そして、その預言の通り、主の使いによってアッシリア軍は壊滅され、アッシリアの王セナケリブは自国において子どもたちに殺されます(35-37)。私たちの主は万軍の主であり、すべてを支配するお方です。このことを信じますか。
第二列王記 20章
アッシリアの脅威がある中、ヒゼキヤ王を病が襲います。預言者イザヤは死に備えるように語りますが、ヒゼキヤは激しく主に祈り求めます。すると主はアッシリアから救い、寿命を加え、三日目に主の宮に上ると約束され(1-7)、さらに奇跡も起こされました(8-11)。さて、ヒゼキヤ王のうわさを聞いて、この時はまだ小国であったバビロンの王が、同盟の意図もあって使者とともに贈り物を送ります。するとヒゼキヤは気をよくしたのは、自らの力を誇示したのか、所有するすべてのものを見せてしまいます(12-15)。これは大きな失態で、やがてそれらはバビロンのものになるという預言が語られます。これに対してヒゼキヤは国の将来より、自らの安泰にしか関心が持てませんでした(16-19)。最後にヒゼキヤ王の業績が記録されますが、ヒゼキヤトンネルは今にも残る功績です(20-21)。ヒゼキヤは立派な王でしたが、完全ではありません。私たちはその姿に何を学ぶでしょうか。
第二列王記 21章
南王国のマナセ王は北王国の王たちの如く、主の目に悪を行い、父が打ち壊した高き所を再建し、あらゆる異教の神々と習慣に仕えました。それは北王国の悪王アハブのようでした。主は主に従う時に祝福があると繰り返し預言者を通して語ってきました(1-9)。しかし、南王国も北王国と同じように測られ、敵の手によってさばかれると語られます(10-15)。またマナセ王は神に背くだけでなく、多くの血を流し、ユダヤ教の伝承では預言者イザヤはマナセの時にのこぎりで殺されたといわれますが、まさにマナセの記録は罪の記録でした。彼は父祖たちの墓所には葬られませんでした(16-18)。それでも第二歴代33章には彼が晩年の悔い改めたことが記録され、それは慰めです。さて、その子アモンが王となりますが、彼は父祖たちではなく、父マナセの生き方に倣い、その最後は北王国の王の最後を見るようです(19-26)。あなたとその子たちは主の祝福のうちを歩んでいるでしょうか。
第二列王記 22章
若くして王となった南王国のヨシヤ王は、悪王であった祖父マナセ、父アモンの道に倣わず主の前に良い王でした(1-2)。彼の治世において特筆すべき事は彼の行った宗教改革です。ヨシヤ王は、最初、神殿修復のために書記シャファンを主の宮に遣わし、神殿修復のために労している者たちに賃金を払おうとしました。この態度も誠実です(3-7)。すると、律法の書が発見され、それを読んだ時、彼は激しく父祖たち、自らの生き方を悔い改めます(8-13)。王は女預言者フルダのもとに使者を遣わし、背信による激しい神の怒りとそのわざわいについて、しかしヨシヤ王が心を痛め、へりくだり、悔い改めたゆえに、あなたはそのわざわいを見ることはないと報告を受けます(14-20)。しかしヨシヤ王は自分さえよければではなく、この後、宗教改革を断行します。今日、聖書を通して示された主のことばの前に、自らの生き方を見つめ、悔い改めることはなんでしょうか。
第二列王記 23章
ヨシヤ王は国中に律法を示し主との契約を確認します(1-3)。そして徹底して異教の神に関するものを破壊します(4-13)。異教的なものがこれほどにエルサレムとその周辺を覆っていたことに驚かされます。またヨシヤ王はかつての北王国の町ベテルの高き所も破壊します(15-20)。これは数百年前の預言の実現でした(第一列王13章2節)。そして、彼はかつてないほどの過ぎ越しの祭りを行い(21-23)、さらに習慣的に行われていた忌むべき行為も取り除きます(24-25)。これほどの宗教改革でしたが国にはびこった背信のゆえに神の怒りは静まらず、南王国も滅亡に向かっていきました(26-27)。ヨシヤ王はエジプト王ネコのアッシリアの遠征時に殺され、その子エホアハズ、さらに同じく息子のエルヤキム(エホヤキム)が王となりますが、彼らは主の目に悪を行う王でした。私たちの信仰生活は徹底しているでしょうか。自分だけでなく、家庭は、教会はどうでしょうか。
第二列王記 24章
南王国の末期、エホヤキム(エルヤキム)王の時、エジプトを打ち破り台頭してきたバビロンのネブカドネツァル王によって第一次捕囚が起こります。ダニエルはその一人でした(ダニ1:1)。これは主から出たことであり、主がバビロンを通してさばかれたのです(1-4)。その後、エホヤキムの子エホヤキン(エコンヤ)が王につきます。彼は祖父ヨシヤ王のようではなく、父のように主の前に悪を行う王でした(5-9)。彼の治世の時、ネブカドネツァル王の第八年にエホヤキン王と大勢のものたちが第二次捕囚となります(10-17)。これは紀元前586年のことでした。そして、ネブカドネツァル王は、エホヤキンに代わって、彼の叔父、ヨシヤの子であるマタンヤ(ゼデキヤ)を王とします(18-20)。彼もまた主の目に悪を行います。ヨシヤ王による宗教改革にも関わらず、先のマナセ王の罪、ヨシヤの子たちまでもが次々に主の前に悪を行い、さばきを決定づけます。信仰継承は重要な課題です。
第二列王記 25章
ゼデキヤ王の第九年、第三回目の攻撃がバビロンの王ネブカドネツァル(前12世紀の「1世」と区別して「2世」)によってなされ、ゼデキヤは捕らえら、両目を奪われ、捕囚となります(1-7)。さらにエルサレムは破壊され、残っていた青銅や道具のすべてまでもが持ち去られ、高官たちはリブラで殺されます(8-21)。この第三回目の捕囚によって南王国の滅亡が決定的になります。その後、ネブカドネツァルはゲダルヤを総督に任命しますが、反対者に殺され、反対者たちはエジプトに逃亡します(25-26)。この時、エレミヤも無理矢理エジプトに連れ去られますが、その様子は今日の内容を含めてエレミヤ書を読んでみましょう(39-43章)。最後に、第二次捕囚の時バビロンに連れ去られたエホヤキンへの恩赦の記録をもって列王記は閉じられます(27-30)。ダビデの血筋は絶えず、約600年後にこの系図にイエス・キリストが誕生します。歴史を通して働かれる神に思いを向けましょう。