第一列王記

列王記
サムエル記に続くイスラエルの歴史が描かれます。ソロモンの後、イスラエルは10部族による北イスラエル王国と、ユダ族とベニヤミン族による南ユダ王国に分裂します。そして、北王国は紀元前721(学者によって誤差あり)年にアッシリア帝国によって、南王国は前586年にバビロン帝国によって滅ぼされます。その間、北王国には19人の王、南王国には20人の王が立てられます。おそらく、この書物は様々な資料によって段階的に編纂されたと考えられます。「第一」はソロモンによる神殿建設、彼の信仰の後退などが描かれ、彼の息子レハブアムの時に国は南北に分裂します。北王国はヤロブアムが王として立てられます。後半には預言者エリヤの働きが描かれます。「第二」はエリヤに続く預言者エリシャの働き、北王国の滅亡、南王国の滅亡が記録されます。歴代誌同様、歴史に働かれた神を覚え、このお方に従うとはどういうことかを思い巡らしつつ、特に預言者の働きに目を留めましょう。

第一列王記 1章
列王記はサムエル記に続くイスラエルの歴史が記録されます。しばらくはソロモン王の治世が描かれますが、ダビデ王も年を取り、そばめによって体を温めなければならないほどに弱っていました(1-4)。王のそのような状況を見て謀反を起こす者たちが起こり、その一人がダビデ王の四男アドニアで、彼は前の将軍ヨアブや祭司エブヤタルを仲間に引き入れ、即位式を行いました(5-10)。しかし、預言者ナタンたちはこれに与することなく、バテ・シェバに事の仔細を報告し、ダビデ王の誓いの通り、彼女とダビデ王の間に生まれたソロモンを後継者とするために行動を起こし(11-27)、ソロモンがダビデ王の正式な後継者として就任します(28-40)。その知らせにアドニアと彼に与した者たちも怯え、藁をもつかむ思いで、アドニアは祭壇の四隅にあった角をつかみ、赦しをソロモンに請い、命は長らえます(41-53)。ふさわしい指導者がその地位に就くことができるように祈りましょう。

第一列王記 2章
ダビデはその死を前にソロモンに遺言を伝えます。第一に、主に対してどうあるべきか、主の命令を守ることを語ります(1-4)。その上で、残された課題、すなわち王国を確固たるものとするために対処すべき具体的な事柄を伝えて(5-9)、眠りにつき、ダビデの町に葬られました(10-12)。さて、前章で謀反を起こしながら、命を長らえたアドニアはなおも、その地位を画策しようとして、ソロモンの母バテ・シェバに取入り、ダビデ王のそばめアビシャグを妻に求めます。結局、アドニアは、その行動によって自らに死を招きました(13-25)。さらにアドニアの謀反に与した祭司エブヤタルと将軍ヨアブも打ち取られます(26-35)。またダビデ王をののしったシムイは、自らの約束を破ることによって死を招きました。ソロモンはこのように王国を揺るがす課題を処理し、その地位を盤石なものとしました(36-46)。私たちは後代に何を伝え、何を残すことができるでしょうか。

第一列王記 3章
ソロモン王は婚姻関係によってエジプトとの関係を強めます。当時、まだエルサレム神殿がなかったため、人々は各地に立てられた祭壇、高き所でいけにえをささげていました。ソロモン王はその一つエルサレムから北に10キロほどのギブオンにおいて壮大ないけにえをささげました。その晩、主が夢のうちに現れ、ソロモンは善悪を判断し、聞き分ける心を神に求めました(1-9)。このことは神の喜ばれるところで、神はソロモンに知恵だけでなく、長寿、富、誉れを与えること約束されました(10-15)。16節以降には、ソロモンの知恵の一つの例として、二人の女性の争いを見事にさばいた出来事が記録されています(16-28)。ソロモンの時代は栄華を極め、彼は知恵と祝福を主にあって与えられました。しかしやがて彼は異教の妻たちの影響もあってその心が逸れていきました。私たちも主に物事を正しく判断し、聞き分ける知恵を求め、またそこから離れることなく歩めるように願いましょう。

第一列王記 4章
この章にはソロモン王の治世の繁栄について記録されています。1節から6節には、ソロモン王を支えた人事的な面が紹介されます。その中には、ダビデ王から続く人々も支えていたことがわかります。7節からは、かつて十二族に分割された地域を整え、12人の守護をおきました(7-19)。20節からはいかにその領土が広がったかが記録されています。西は大河ユーフラテス川近辺から東は地中海岸のペリシテ人の地、南はエジプトとの国境に至るまで、まさにダンからベエル・シェバにまで広がり、その治世は安定し、そして多くの富が国を潤しました(20-28)。さらが神から与えられた知恵について記録され、その知恵を求めて周辺諸国の王たちがやってきました(29-34)。人事、行政、領土、経済、文化、軍事、どれをとってもソロモンの治世の最初は素晴らしいものでした。しかしこれはすべて主から与えられたものでした。主から受けたものを自分のもののように誇らないようにしましょう。

第一列王記 5章
ソロモンが王位を継承すると、彼の父ダビデと親交のあったレバノンの港町ツロの王ヒラムが使者を遣わしました。ソロモン王は彼に神殿建築のための資材と人材を願います(1-6)。有名な「レバノン杉」、またツロや北方のシドン人といったフェニキヤの人々は技術に長けていたのでしょう。ヒラムは申し出を喜び、資材と人材の提供を約束し、ヤッフォ(ヨッパ)まで海路、そこから55キロほど離れたエルサレムに陸路で運び入れました。ソロモンは対価としての莫大な食料を提供しました(7-12)。平和的な契約です。さらにソロモンはシドン人の他に、工事に携わるイスラエル人の徴用、シドンより北のゲバル(ビブロス)の人々も徴用しました。その数、人材、知恵の結集を見る時、ソロモンがいかにこの事業を大切にし、壮大なものであったかが分かります。同時に労働者への配慮と知恵も伺えます(13-18)。私たちは主を礼拝するためにどれほどの知恵と犠牲を払っているでしょうか。

第一列王記 6章
ソロモン王の治世は前960年頃からで、ここから出エジプトは前15世紀半ば(早期説)という結論が出ます。ただし、もう一つの前13世紀(後期説)も有力です(1)。さてソロモンの建築した神殿の全体像は長さ26m、幅9m、高さ13mほどになります。玄関、そして両側と後方には三階の脇間が設けられ、木や石が用いられました(2-10)。そして大切なことは、神殿があるゆえに主が臨在されるのではなく、主の掟に歩むなら、主はイスラエルの中に住まわれるということです(11-13)。神殿の内側は、内殿(至聖所)と本殿(聖所)に分かれ、すぎ板、もみ板、彫刻、純金が施され、そして祭壇が内殿におかれます(14-22)。内殿には、おそらくみ使い(天的存在)と考えられるケルビムの彫刻がおかれます(23-30)。内殿の入口(31-32)、本殿の入口(33-36)には扉がつけられ、7年をかけて完成しました(37-38)。見える何かではなく、主に従うことこそがまず大切です。

第一列王記 7章
前半はソロモン王が13年かけて建築した宮殿についてです(1)。長さ44m、幅22m、高さ13mほどで、「レバノンの森の宮殿」とありますから、ツロのヒラム王から送られてきたレバノン杉をふんだんに用いたのでしょう(2-5)。柱の広間(6)、職務のための王座の広間(7)、ファラオの娘の家、宮殿は高価な木材や石によって建造されました(8-12)。13節以降は、再び神殿に関わるもので、それを取り仕切ったのはナフタリ族出身のヒラムでした(13-14)。玄関の両脇のヤキンとボアズと呼ばれた「柱」(15-22)、「海」と呼ばれる神殿の東南におかれた祭司が身をきよめるための水盤(23-26)、神殿の北と南に五つずつ置かれたいけにえを洗う洗盤(27-39)、祭壇の灰を片付けるための「灰壺」「十能」「鉢」、その他の道具が作られました(40-51)。主の前に大小にかかわらず心を込めて備えられたように、私たちも事の大小にかかわらず、心を込めて行いましょう。

第一列王記 8章
神殿の建築及び内装、関連する道具が整い、完成から約一年後、十戒を納めた契約の箱を内殿である至聖所のケルビムの翼の下に運び入れます。主の宮である神殿は神の臨在を示す雲で覆われ、その栄光のために祭司たちは立っていることができませんでした(1-11)。ソロモンは主に向かって叫び(12-13)、そして向きを変えて全会衆に語りかけます。主は父ダビデに約束されたように、この神殿の建築を私に実現させてくださった(14-21)。そして、全会衆の前で、ソロモンは主に祈りをささげます。その内容は、神がどのようなお方なのかの告白です。あなたのような神はなく、契約を守られ、大いなるお方、罪を赦され、祈りを聞かれ、支配者なる、憐れみ深いお方…(22-53)。そして、このように約束を守られるお方に従うように民に語りかけます(54-61)。そして壮大ないけにえをささげます(62-66)。ソロモンの祈りをもう一度読み、主がどのようなお方か確認しましょう。

第一列王記 9章
神殿の奉献を終えた後、再び主がソロモンに現れます(1-2)。主はソロモンの祈りを聞き、主の前を歩みつつづけるならば祝福は続き、主の命令に背くならばこの立派な神殿さえも廃墟となると語られました(3-9)。後半は、ソロモンの行った政策が記録されます。ソロモンは資材の提供に感謝してガリラヤの二十の町をヒラムに与えますが、それは彼を十分な満足させませんでした(10-14)。また防備のためにエルサレム城壁や都市の建設を行います。ガリラヤ北部のハツォル、中部のメギド、エルサレム近郊のゲゼルなどの名が挙げられています(15-19)。これらの町は考古学的発掘も進められています。さらに様々な民族が徴用されたこともわかります(20-22)。そしてその支配は、南はエイラト周辺にまで及び、船団を持ち、多くの富を手にしたことが記録されます(15-28)。しかし、この繁栄は長くは続きません。私たちは繁栄が主を遠ざけてしまう危険を心に留めましょう。

第一列王記 10章
ソロモン王の知恵と名声を聞いて、おそらくアラビアの南西部にあったシェバの女王が彼を試そうとやってきます(1)。女王は多くの贈り物と共に様々な質問を投げかけます。ソロモン王はそのすべてに答え、さらに女王はその整えられた王国の様子に圧倒されます(2-10)。シェバの女王はその背後におられる神の祝福があることを認めざるを得ませんでした(9)。このシェバの女王の贈り物をはじめ、諸国から金、銀、木材、宝石、象牙、数えきれないものが運び込まれ、さらには様々な動物さえも運ばれてきました(11-22)。そして、そのような経済、文化の繁栄とともに、ソロモンは軍事面において国を強化していきました(23-29)。外交的な面でも、東はアラビア、北はヒラム王のツロやヒッタイト、アラム、西はスペインはタルシシュ、南はエジプトといった名があります。すべて神によって与えられた祝福です。私たちも主の祝福を願い、その恵みを忘れず感謝しましょう。

第一列王記 11章
ソロモン王は外国人の妻たち(1-2)、そして非常に多くの妻をめとり(3)、その晩年は主から心が離れ、外国の神々に心を傾けていきました(4-8)。ソロモンは、ダビデのように主に従い通すことができませんでした(6)。主はソロモンに警告したにもかかわらず(9-10)、ソロモンは聞こうとせず、ついに主の怒りが発せられます。ソロモンが祈った神殿奉献のことばが思い出されます(8章)。神は、ダビデのゆえにソロモンの時には分裂を猶予されます。またダビデの系図を絶やすことはせず、一つの部族だけは残すと約束されます(11-13)。主は敵対者として、エサウの子孫エドム人(死海の南)のハダド(14-22)、北のダマスコのレゾン(23-25)、そしてソロモンの家来ヤロブアムを起こします。後に彼が北方の王となると預言者アヒヤが告げます(26-40)。ソロモン王の後はその子レハブアムが継承しました(41-43)。あなたの心を神から遠ざける偶像は何でしょう。

第一列王記 12章
ソロモンの後を継いだレハブアムはイスラエルの中央に位置するシェケムで王位継承を行います。そこにエジプトに亡命していたヤロブアムと北方イスラエルの指導者が来て、税の軽減を願います(1-5)。レハブアムは長老と若者に助言を求め、若者の厳しい対応を選びます(6-11)。これが引き金となり、預言の通り、ヤロブアムはユダ部族を除く全イスラエルとレハブアムに反旗を翻し、南北が分裂します(12-20)。レハブアムはユダ族とベニヤミン族を伴い、イスラエルの家と戦おうとしますが、主の命令に従い、とりやめます(21-24)。一方、ヤロブアムは民の心が離れることを恐れ、ベテルとダンに金の子牛を造り、高きところ、レビ人以外の祭司の任命、まさに自分勝手に考えます(33)。結果、民を神から引き離すことになります(25-33)。金の子牛礼拝はその後、イスラエルを惑わし続けます。自分勝手な神礼拝は偶像礼拝になります。私たちの礼拝の姿勢はどうでしょうか。

第一列王記 13章
北王国の王となったヤロブアムの下に神の人がやってきます。ヤロブアムは金の子牛の祭壇を造った上に、本来、祭司のみが行うことのできる香を焚くことさえしようとしました。そこで神の人は、やがてダビデの家に生まれるヨシヤというものが祭壇をきよめると預言します。これは約300年後に南王国の王ヨシヤによって実現します(Ⅱ列王23章)。その言葉にヤロブアムは怒って、その神の人を捕らえるように手を差し向けますが、その手がしなびてしまいます。その時は、彼は悔い改め、それは癒されます(1-10)。ところで、その神の人は、帰る途中、うそにのせられ、主のことばに背くことになり、獅子に殺されます(11-32)。たとえ事情はどうであれ、神のことばに徹底して従うことの厳粛さを覚えます。ヤロブアムはその後も、祭司を勝手に任命し、自分勝手な礼拝を続けました(33-34)。王も、預言者も、祭司も神のことばに従わないなら厳しくさばかれるのです。

第一列王記 14章
ヤロブアムの子アビヤが病となり、彼は妻に変装をさせて預言者アヒヤもとに遣わします。彼は自分が主に喜ばれない歩みをしていることを自覚し、預言者に会うことを恐れたのでしょう(1-3)。アヒヤは主に教えられ、ヤロブアムの妻にはっきりとヤロブアム家に訪れる主のさばきについて語ります。なぜなら彼がダビデのように歩まず、主の前に悪を行い、その罪はイスラエル全体に及んでいたからです(4-16)。その預言の通り、彼の子は死にます。そして、ヤロブアムの後は彼の子ナダブが継承します(17-20)。南王国でも、ソロモンの子レハブアムはアンモン人の母の影響もあり、あらゆる異教的な行いをまね、主の目に悪を行い、それは国全体に影響を及ぼしました(21-24)。彼の治世の時、エジプトの王シシャクが攻めてきて、財宝を奪います。やがて彼の子アビヤム王位を継ぎました(25-31)。これは没落の始まりです。気づいた時に、立ち止まり、悔い改めましょう。

第一列王記 15章
南王国アビヤムは父祖ダビデのようではなく、主の目にかなう歩みをしませんでした。しかしダビデのゆえに南王国ではダビデの系図が続きます。彼と北王国のヤロブアム王との間には戦いが続きました(1-8)。アビヤムの子アサは、父祖ダビデのように主の目にかなうものとして歩みました(9-15)。彼の治世の時、北イスラエルではバアシャが王となり、彼との間に戦いがありました。アサ王はこの時、アラムの王ベン・ハダドに助けを求め、バアシャを追い返しました。彼の後、彼の子ヨシャファテが継ぎました(16-24)。北イスラエルでは、先ほどのバアシャが王となる前に、わずかな期間ヤロブアムの子ナダブが王となります。彼はバアシャの謀反によって殺されました。ヤロブアムの系図はここで途絶えます(25-34)。主に徹底して従うのはいかに難しいことでしょうか。しかし、誰かが主に従って罪の連鎖を断たなければなりません。それはあなたではないでしょうか。

第一列王記 16章
北王国のバアシャの治世の時、主は預言者エフーを通して、北王国初代の王ヤロブアムのように主の目に悪を行うバアシャの家も滅びることを語ります(1-7)。バアシャの子エラは王となりますが、家来のジムリが謀反を起こし、彼が代わって王となり、エフーの預言の通り、バアシャの系図は途絶えます(8-14)。謀反によって王位を得たジムリも七日天下に過ぎませんでした。ジムリは自ら命を絶ち、軍の長オムリが王に就きます(8-20)。そしてオムリも北王国の初代の王ヤロブアムの道に歩み、主の目に悪を行い続けました(21-28)。そして彼の子アハブは、北王国の王の中でも最悪ともいえる王であり、何より彼に妻イゼベルによって異教の礼拝と、あらゆる神の前に悪を行います(29-34)。なお北王国の王が次々に変わる間、南ユダ王国はアサ王が治め続けます。主は決して罪を見逃すお方ではありません。私たちは正しくさばかれるお方を恐れて歩みましょう。

第一列王記 17章
ヨルダン川の東方、ギルアデの預言者エリヤがこの章から登場し、彼の働きと北王国アハブの悪行が記録されます。最初の全体像でも触れたように、列王記と歴代誌に差をつけるならば、列王記では「預言者」の働きにも注目することができます。エリヤはアハブ王に数年の干ばつが起こると語ります。そして、主はエリヤをヨルダン川の東、ケリテ川に退かせ、カラスをもって養います(1-7)。さらに、主はエリヤを地中海岸の町シドンに住む、異邦人の貧しいやもめのところに遣わし、養います。彼女はエリヤに最後の食物を持ってきますが、その後も、彼女の家の粉と油は尽きることがありませんでした。主は主に従うものを養われます(8-16)。さらにエリヤは彼女の息子のいのちをよみがえらせらせる奇跡をも行いました(17-24)。確かにエリヤは力あるわざを行いましたが、それはすべて主によるものです。主は、どんな困難な中にあっても従うものを必ず守り、祝福されます。

第一列王記 18章
この章には、エリヤと偶像の預言者たちとの対決が描かれています。1節から15節はその経緯です。3年の飢饉の後、アハブ王が家臣のオバデヤと二手に分かれて牧草を探しに向かうと、エリヤはオバデヤと会い、アハブ王と会う約束をします。続く16節から40節は対決の様子です。場所は、地中海沿岸にある標高500メートルほどのカルメル山です。450人のバアルの預言者と400人のアシェラの預言者を前に、エリヤはアハブ王とイスラエルの民に、あなたがたはいつまでどっちつかずで、何に仕えているのかと問います(21)。そして火を下す神こそ、まことの神とせよ(24)と語り、戦いが始まります。偶像の神々は何も答えません(29)。エリヤは祭壇を立て直し(30)、あえて水を注ぎました(34)。そして主はそのいけにえを焼き尽くされました(38)。そして、その後、激しい雨が地を潤した様子が41節以降には描かれています。私たちが頼るべきお方は誰でしょうか。

第一列王記 19章
この章には、失意のどん底にあったエリヤへの励ましが描かれます。カルメル山での出来事によって、バアル信者であったアハブ王の妻イゼベルは怒り狂いエリヤを殺そうとします(2)。エリヤは、南に150キロほどのベエル・シェバまで逃れますが、死を願うほどまでに失望していました(4)。そんな彼をまず眠りと食物で主は養い(5)、ホレブの山まで導かれます(8)。主はそこで言葉をもってエリヤを励まします。主はエリヤに「ここで何をしているのか」(9)と尋ねます。するとエリヤは「私は熱心に仕えてきました」(10)と答えます。すると主は「わたしの前に立て」と言われ(11)、エリヤは主の「かすかな細い声」を聴きます(12)。そしてエリヤは新しい使命に遣わされます。アラム国にはハザエルを、北王国にはエフーを、エリヤの後にはエリシャが立てられ、さばきを下すといわれました。主はあなたにどのように語り、また励ましておられるでしょうか。

第一列王記 20章
この章には、アラムの王ベン・ハダド2世が北王国を攻め(1)、北王国のアハブ王が最初の降伏勧告を受け入れますが(4)、二度目の略奪に対しては拒否します(9)。そこに一人の預言者を通して主のことばが伝えられます。主はアラム軍を打ち「わたしこそ主であることを知る」と約束されます(13)。そしてそのことが実現します(20)。すると再び預言者を通して主は、再びアラム軍が攻撃してくると語られ(22)、事実、アラム軍はガリラヤ湖近辺のアフェクという平地で戦いを有利に進めようとやってきます。再び、主は「わたしこそ主であることを知る」(28)と語り勝利を約束します。この時、アハブ王は勝利しますが、アラム王と勝手な契約を結び解放します(34)。それに対して預言者の一人が自らを傷つけ王の前に立ち(38)、アラムの王を逃がしたことを責め、やがてあなたがさばきを受けると語りました(42)。私たちは心から主に従い、主を知ろうとしているでしょうか。

第一列王記 21章
アハブ王は、サマリアの北方のイズレエルの地にあるナボテのブドウ畑を自分の畑として求めます(2)。しかしナボテは、先祖から受け継いだ土地を譲ることはできないと答えます(3)。それに対して、アハブは怒ります(4)。すると、その妻イゼベルは、王権を利用し、悪しき策略を立て、ナボテの土地を奪う計画を進めました(7)。その結果、ナボテは石で打ち殺されます(13)。アハブ王はその土地を手にしようと出ていくと(16)、そこに預言者エリヤが遣わされ、主のことばが語られます(19)。あなたはさばきを受け、妻イゼベルは悲惨な死を遂げる(23)。アハブ王は、この時、忠告の前にへりくだり(27)、さばきを免れることになりますが、後にさばきは実現します。アハブ王は主の目の前に数々の悪を行い、それは異教の妻イゼベルのそそのかしに耳を傾けたことによります(25)。私たちは日々、誰の声に、何の声に聞き従っているでしょうか。

第一列王記 22章
北イスラエルのアハブ王は、南ユダのヨシャファテ王と会談し、ラモテ・ギルアデを奪還するための協力を要請します(4)。20章においてアハブ王はアラムの王と和平条約を結び、彼を解放しましたが、ラモテ・ギルアデは返還されていませんでした。そこで、ヨシャファテ王は主の御心を求めるように願います(5)。アハブ王の周りにいた預言者たちは王の顔色をうかがうような「勝利」の答えしかしません(6)。そこでヨシャファテ王が他の預言者も求めると、ミカヤが呼び出されます(8)。彼はいかに他の預言者たちが偽りを語り、そして戦いが敗北に終わることを預言します(23)。そして、そのことが29節以下で実現します。アハブ王は変装という策略を巡らします(30)が、21章の預言の通り、神のご計画が実現します。41節以降は南ユダのヨシャファテ王と北王国のアハブの子アハズヤ王について述べられています。王、預言者、私たちは誰を恐れ、誰の声に聞き従うべきでしょうか。