ネヘミヤ記

ネヘミヤ記
歴史書の中におかれるネヘミヤ記は、南ユダの捕囚後、バビロンを滅ぼしたペルシアのキュロス王が、イスラエルの民を捕囚から解放した後の歴史が記されます。紀元前四三〇年より後に書かれたと思われます。ネヘミヤはペルシア王の献酌官という高い地位にありながら、エルサレムにおいて神殿が完成しながらも、城壁が崩れたままとなっていることを嘆き、その職を投げうって、妨害にあいながらも、城壁の再建を成し遂げました。ネヘミヤ記は大きく三つの部分に分けることができます。最初の部分は城壁の修復の記録、第二の部分はエズラとともに行った宗教改革、特に律法の書の朗読が焦点です。そして最後が居住地や祭司の一覧という付録のような部分から成り立ちます。この書は、神の働きに携わる者がその召しにしっかりと立ち、祈りつつ前進することを教えられます。また神のみことばに立ち、神を礼拝し、主の前に悔い改め、主の憐れみにより頼んで歩む大切を考えさせられます。

ネヘミヤ記 1章
「主は慰める」という名のネヘミヤは、ペルシアの王アルタクセルクセス王(2:1)の第二十年(BC445年頃)にエラム州の首都スサの城で王の毒見役でもある献酌官として仕えていました(1,11)。彼はユダからやってきた者たちから、人々は困難の中にあり、城壁も崩れたままであるというエルサレムの様子を聞きました(2-3)。ネヘミヤはそれを遠い国の出来事、自分とは関係のないこととは考えず、そのことを嘆き、断食し、神の前に祈りをささげました(4)。あなたは契約に忠実なお方であり、私たちも私たちの先祖もあなたの命令に背き、あなたの前に罪を犯しました。しかしあなたは立ち返る時に回復を与えてくださるお方であるゆえに、私たちを憐れんでくださいと祈りました(5-11)。他人事としてではなく、自分のこととして受け止めるべき祈りの課題は何でしょうか。私たちが心から悔い改め、立ち返るならば、神様は赦し、回復してくださるお方です。

ネヘミヤ記 2章
王の献酌官であったネヘミヤの沈んだ顔は王からあらぬ疑いをかけられても不思議ではありませんでした。しかし、ネヘミヤは王から何か心配事があるのかと気遣われるほどに、王からの信頼を得ていました。ネヘミヤはエルサレムの荒廃を伝え、そしてそこで祈って、再建のために私をユダの地に送り出してくださるように願い出ました。王はそれを許し、そればかりか神の恵みの御手のゆえに、王は総督たちへの手紙も与えました(1-8)。しかしネヘミヤの来訪を喜ばない者たちもいました(9-10)。ネヘミヤは神から示された計画をまずは自分の心にとどめ、そして城壁の状況を一人で調査しました(11-16)。そして時が来た時、彼は指導者たちに主のみこころと、王が告げたことを語り、城壁の再建に取りかかるように励ましました。そこには反対者の声もありました(17-20)。どんな時にも祈る姿。一人で問題に向き合い主に祈る姿。祈りつつ語り行動を起こす姿。祈る者の姿があります。

ネヘミヤ記 3章
ネヘミヤのことばに励まされて、人々は城壁の再建に取り掛かりました。城壁は南北に縦長に広がっています。羊の門や魚の門のある城壁の北側の修復について、担当者と位置についての記録が紹介されます。非協力的なものもいました(1-5)。続いてエシャナの門(古い門)のある城壁の西側の修復に関わった人々の記録です。修復に関わった人々は職業も(8)、場所も(9)、関わり方も(12)様々でありました(6-12)。城壁の西側の南方の位置する谷の門、城壁の南側の糞の門の修復が記録されます(13-14)。そして泉の門がある東側の南方の修復について記録されています。修復場所を示すために目印となる名称も記録されています(15-27)。さらに馬の門や東の門のある東側の北方の修復の説明が続きます(28-32)。それぞれの持ち場、能力、賜物、関わり方は違いますが、城壁の再建という一つの目標にそれぞれの働きがありました。主の働きという一事に心を向けましょう。

ネヘミヤ記 4章
二章に続く出来事ですが、サンバラテ、サマリアに住む者たち、アンモン人のトビヤたちは城壁を築き直しているユダヤ人たちを嘲り、怒らせ、やる気を失わせようとしました(1-3)。しかしネヘミヤは主に祈り、民も奮起して、城壁を半分の高さまで修復できました(4-6)。周辺の民族は城壁の割れ目がふさがれていることに怒り、陰謀を企てます。ネヘミヤは祈り、そして見張りを置きます。中には、弱音を吐くもの、攻撃を恐れて家族に戻ってきてほしい願う者もあり、ネヘミヤは励まし、武装した者たちを配置しました(7-14)。再び城壁の修復が始まりますが、若者は工事と警備の働きに分かれ、また工事の者たちも戦いに備えながら働きました(15-23)。周りの声や妨げに惑わされず祈りつつ行動しましょう。私たちにとってふさぐべき割れ目、修復すべき城壁、分担すべき働きは何でしょう。祈りとみ言葉の武器を手にして日々の各人の働きに遣わされて参りましょう。

ネヘミヤ記 5章
一部のユダヤ人から同胞の裕福な者たちへの抗議の声が上がりました。それは、食物のため、納税のため、自分たちの息子や娘を奴隷に売ったり、土地を抵当に入れたり、借金をしなければなりませんでした(1-5)。ネヘミヤは、十分に考えてから、有力者らを集めて彼らを責め、自分のしてきたこと、そして自分もさらなる犠牲を払うことを示しました(6-11)。それに対して、指導者たちも自分たちが貸した金を手放し、利子を返すことを神の前に誓いました(12-13)。ネヘミヤはユダの地の総督として赴任してから、手当てを要求せず、横柄に振舞わず、城壁の話し合いに集まってくる人々の食事は、自分の分はとにかく、豊かな食卓を用意してきました。そのことを主よ、あなたはだけは覚えてくださり、いつくしんでくださいと祈りました(14-19)。ネヘミヤの模範的な愛のわざを覚えつつ、愛のわざはひけらかすためのものではなく、主に覚えていただきましょう。

ネヘミヤ記 6章
城壁修復に敵対するサンバラテらは、妨害工作として、ネヘミヤに会見を申し込み、そこで危害を加えるつもりで使者を何度も遣わしました。五度目の時には、あなたはユダヤの王になるつもりで、その陰謀はいずれペルシアの王に聞こえるところとなると偽りの手紙を出し、他の人にもそれが伝わるように開封して送りました(1-9)。さらには預言者シャマヤを買収し、ネヘミヤに神殿に隠れるように誘わせ、祭司でない者が神殿に入ったと非難を浴びせる計画も立てました。しかし、ネヘミヤはそれが神からのものではないことを見抜きました。外にも内にも敵がいる中で、正しい判断が求められました(10-14)。そんな妨害の中、城壁の修復は五十二日という短期間で完成し、敵対者たちは面目を失いました。その後も、トビヤをはじめとする敵からの嫌がらせは続きました(15-19)。主の働きに妨害はつきものです。正しい判断を下せるように祈り続けましょう。

ネヘミヤ記 7章
門が取り付けられ城壁の修復が完成した時、それぞれの任務に携わる者が任命されました。特に門の開閉は、城内の状況や奉仕者の人数も十分に整っていなかったため、限られた時間に行うことになりました(1-4)。主はネヘミヤを通して、帰還した者たちの系図を記録するように命じました。そこに最初の帰還者たちの系図が発見されました(5)。ここでの記録は、エズラ記二章の記録と多少の違いはあるものの本質的な違いはなく、総督ゼルバベルや大祭司ヨシュアをはじめ、各部族の名前と人数、祭司、レビ人、歌い手、門衛、宮のしもべ、ソロモンのしもべ、さらにはイスラエルの民の系図として証明できず祭司職につけなかったものたち、家畜の数、再建のために捧げられたもののリストなどが記録されました(6-72)。門は出入りのために重要ですが、臨機応変な対応がとられました。また記録を残すことは後の人々に歴史を知らせるためにも大切な働きです。

ネヘミヤ記 8章
定めの日(レビ23章など)に城壁の東側、水の門の前にある広場に民は集まり、祭司であり学者であったエズラによってモーセ五書の抜粋が朗読されます。民は直立して聞き、またひざまずき、ひれ伏して主を礼拝しました。またレビ人によって解き明かしがなされ、民は読まれたことを理解しました(1-8)。民は罪を示され涙しますが、主の聖なる日として主を喜ぶことがあなたがたの力であると励まされます。そして豊かなものから貧しいものまですべての民が喜びの食事にあずかりました(9-12)。二日目には仮庵の祭りがあるべき姿を取り戻し、全国民でエジプト脱出を覚えるこの祭りを喜びました。祭りの期間中、毎日、神のみ教えの書が朗読されました(13-18)。主の前に起立し、ひざまずき、ひれ伏す。みことばが朗読され、解き明かされ、理解される。主を喜ぶことが力であり、愛の分かち合いがなされ、交わりがなされる。主の聖なる日をどのように過ごすかを教えられます。

ネヘミヤ記 9章
新年となる第七の月の二十四日に、イスラエルの民は集まり、断食し、自分たちと先祖の罪を悔い改めました(1-2)。そこでは三時間の律法の朗読と三時間の主への礼拝をささげました(3)そしてレビ人たちが立って天地創造から始まりイスラエルの歴史の回顧を告白しました(4)。天地万物の創造者なる主を賛美し(5-6)、アブラハムとの契約(7-8)、モーセによる出エジプトと律法の授与(9-15)、イスラエルの民の不信仰にもかかわらず、神はあわれみによって約束の地を所有させてくださった事を覚え(16-25)、しかし、その後も反逆と悔い改めの歴史の中で、神様は士師や預言者を通して絶えず彼らに語り続けてくださり(26-31)、ついにアッシリアの王たちによる苦難がおこり、その後のバビロン、ペルシアを含めて奴隷にあることを覚えて主の憐れみを願い求めました(32-38)。自らの罪を認め、告白し、そして主の憐れみを、助けを求めましょう。

ネヘミヤ記 10章
主の前に盟約を結び、印を押した者たちのたちの名が記されます。総督ネヘミヤ、ゼデキヤ及び祭司たち、レビ人とその親族、民のかしらの名が記されています(1-27)。さらにここに名が挙げられていない祭司をはじめとする奉仕者やその家族の中で、律法に歩み、具体的には、外国人との結婚やその習慣を避け、安息日に売る買いをすることをやめ、安息年の規定としての七年目の土地を休ませ、負債を免除する盟約に加わった者たちがいました(28-31)。さらに、神殿の働きのためのささげものの規定、祭壇用の薪に関しする規定、最初の収穫と家畜の初子を主にささげること、そして、土地や収穫の十分の一をレビ人のものとし、さらにレビ人もそこから十分の一を主の宮にささげるというものがありました(32-38)。彼らはまず神の宮をなおざりにしないことを確認しました(39)。私たちは神様の命令に従い、神様を第一とし、主をなおざりにしない生活を送っているでしょうか。

ネヘミヤ記 11章
城壁が再建されたとはいえ、エルサレムに住むことには危険が伴ったため、指導者たちとくじで選ばれた者たち、さらには進んで住む者ことを選んだ者たちが住みました(1-3)。ユダ族(4-6)、ベニヤミン族(7-9)、祭司たち(10-14)、レビ人(15-18)、門衛たち(19)の名が記録されています。その他の人々はユダの町のそれぞれの相続地に住みました(20-21)。エルサレムに住むレビ人の監督者、歌い手、王を助ける務め役が紹介されています(22-24)。二十五節以降は、エルサレム以外の居住地のリストがユダ族(25-30)、ベニヤミン族(31-36)に分けて記録されています。ユダ族はエルサレムより南部地方、ベニヤミン族は北部地方に住んだようです。ぜひ地図で確認してみましょう。犠牲を払って最前線に住む人々、与えられた土地を守る人々、それぞれがおかれたところがありました。私たちも、それぞれ遣わされたところで主の前に歩んで参りましょう。

ネヘミヤ記 12章
総督ゼルバベル、大祭司ヨシュアとともに最初に捕囚から帰還した代表的な祭司たちの名が記録されます(1-7)。また向かい合って賛美した聖歌隊のレビ人たちです(8-11)。次は大祭司ヨシュアの子エホヤキムの時代の祭司たちが記録されます(12-21)。そしてペルシアのダレイオス王の時代(22-23)、エズラとネヘミヤの時代(24-26)がまとめられています。続いて、城壁修復の完成(6:15)の奉献式についての記録です(27-30)。城壁の修復を喜び、賛美隊を二組に分けて、感謝の歌をささげました。また多くのいけにえがささげられ、エルサレムに喜びの声が響き渡りました。それは神が彼らを喜ばせてくださったからとあります(31-43)。最後に、十分の一のささげものの管理者の任命が、神への賛美の奉仕者と同様に記録されます(47)。すべて主の前になされる奉仕は、それぞれの役割があり、どれも大切な奉仕であって、それぞれ喜んで行いましょう。

ネヘミヤ記 13章
モーセの書に従って、異教徒である異教の民との混血を離れることが実行されます(1-3、23-27)。祭司エルアザルは城壁修復を妨害していたトビヤと親しい関係にあり彼に宮の部屋をあてがっており、ネヘミヤはその部屋をきよめました(4-9)。レビ人には務めへの手当てが払われず、規定のささげものもされておらず、ネヘミヤはそのことを詰問しました(10-14)。さらに安息日はなおざりにされており、ネヘミヤは怒りをあらわにしました(15-22)。また大祭司エルアザルの孫の一人は城壁修復を妨害したサンバラテの婿となっており、彼をネヘミヤは祭司職から追い出しました(28-29)。ネヘミヤは徹底的に異教的なものを排除し、規定を守りました(30-31)。それは徹底したものであり、反対者も起こったことでしょう。しかし彼はその都度、主の憐れみを請い続けました(14、22、31)。正しいことを実行する時には戦いも起こりますが、主に祈りつつ実行し続けましょう。