エズラ記

エズラ
歴史書の中におかれるエズラ記は、南ユダの捕囚後、バビロンを滅ぼしたペルシアのキュロス王が、イスラエルの民を捕囚から解放した後の歴史が記されます。エズラ記は、歴代誌の著者とも考えられる祭司エズラ、またその記録を通して記されたと思われます。前半はキュロス王によって帰還の許しを得た人々が妨害にあいながらも神殿を再建した出来事が記録されます。それは紀元前五三八年から五一五年頃と考えられます。この出来事は、神様が歴史に関わり、異教の王さえ用いて、約束を必ず実現されることを覚えることができます。後半の七章以下は、約六十年の時が過ぎ、エズラが行政長官としてエルサレムに戻ると、帰還した民が異教徒や外国人との結婚、偶像崇拝に陥っている姿を目の当たりにします。捕囚の歴史を忘れている民の姿に対して、エズラは外国人の妻との離別を勧告します。それは非常に厳しい命令ですが、罪や汚れから徹底的に離れなければならないことを教えます。

エズラ 1章
南ユダ王国は不信仰のゆえにバビロン捕囚となりましたが、ペルシアの王キュロスの第一年(紀元前538年頃)、預言者エレミヤの預言にあるように七十年の時が満ち(エレミヤ29:10)、回復が与えられました。その数え方については諸説がありますが、歴史に働かれる主が、異教の王さえも用いて、約束を成就されました。(1-4)。そして人々の中から、かしらたち、祭司たち、レビ人たち、そしてシェシュバツァル(ゼルバベルのことか)は、主の霊によって奮い立ち、さらには神殿で使用するための道具、そこにはバビロンの王ネブカドネツァルが没収した品々も携えて、神殿再建のために、エルサレムに上りました。キュロス王が宗教寛容政策を取ったとはいえ、不思議な出来事です。またエルサレムには上らず、バビロンに残った人々も経済的な支援で力づけました。(5-11)。神は豊かなご計画を持っておられます。その約束は、時の中で、必ず実現すると信じ切った者は幸いです。

エズラ 2章
バビロン捕囚からの指導的な帰還者の中には、南ユダのエホヤキン王の孫(Ⅰ歴3章)で、主イエスの系図につながる総督ゼルバベルと彼を支えた大祭司ヨシュア(ハガイ1:1)の名があります。ネヘミヤ、モルデカイの名がありますが、ネヘミヤ記やエステル記のそれとは別人と思われます(1-2)。氏族や居住地に基づいて帰還民の数が記録されています(3-35)。また祭司をはじめ、主の宮の奉仕に携わる者たちの数が記録されています。「ソロモンのしもべ」と言われる外国人の子孫とも考えられる人々も含まれています(36-58)。しかし中には、系図が失われていたためにイスラエル人として、さらには資格回復の可能性を残しながらも、祭司としての証明ができない者たちがいました(59-63)。その他、奴隷や家畜のリストが紹介され、最後に、かしらたちのささげものが記録されています(64-70)。名前のリストの中に、帰還した一人一人の歴史に関わられる神様を覚えましょう。

エズラ 3章
民は第七の月にエルサレムに集まり、モーセの律法に従い、祭壇を築きます。それは恐れがありながらも、あるいはあるからこそ、祭壇を築いて主に信頼することから始まります。第七の月は、ラッパの日、贖罪の日、仮庵の祭り(民29章)がある祭儀生活の始まりにふさわしい月でした(1-7)。そして主の宮の再建が始まります。働き人は「一致して」(9)取り組みました。民が「一斉に(一人の人のように)」(1)集まった姿と合わせて、一つとなって前進する姿を心に留めます(8-9)。そして礎が据えられた時、まず主への礼拝がささげられました。「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」(11)。これこそ神の民の土台ではないでしょうか(10-11)。再建を喜ぶ若者は将来を見、再建の喜びに合わせて、捕囚の記憶、かつての神殿の姿を覚えて泣く老人の涙が混じり合いました(12-13)。世代や経験を超えて一つとなって進んで参りましょう。

エズラ 4章
アッシリアによる移民政策で外国人との混血となったサマリヤの人々は、神殿再建を快く思わず、指導者ゼルバベルのもとに、策略をもって近づき(Ⅱ列17章)、自分たちも再建に加わりたいと願い出ます。しかし、再建は自分たちの責任として断られます(1-4)。すると今度は、あからさまに神殿再建を妨害するための手を打ち始め、事実、繰り返し妨害がありました(5-6)。特に、ペルシアの王アルタクセルクセスの時に、アラム語で(4:8-6:18はアラム語で書かれている)、いかにイスラエルの民が危険で、その再建が国家安全に関わるかを訴えます(7-16)。すると王は、確かに危険な町であるゆえに、とりあえず、再建の中止を命じました(17-22)。それゆえ、神の宮の工事は、ペルシアの王ダレイオスの治世まで中止されてしまいました(23-24)。主の働きをする時にも、妨害が起こることがあります。その時には主に信頼し、忍耐して時を待つことが求められます。

エズラ 5章
ペルシアの王ダレイオスの時、ハガイ書とゼカリヤ書の著者である二人の預言者に励まされ、神殿再建が再開されました。ところが、ユーフラテス川西方の総督タテナイらが、それを妨害しようとして、誰がこの許可を出したのかと言いがかりをつけます。しかし、そのことが確認されるまでの期間も工事は進められました。そこには神様の守りがあったからでした(1-5)。総督タテナイらは、ダレイオス王に手紙を送ります。イスラエルの民は天と地の神のしもべと主張し、ソロモン王が建築した神殿の再建を目指していること。自分たちの不信仰により神殿が破壊され、捕囚となったこと。しかしバビロンの支配者となったペルシアの王キュロスの時に再建を許されたことを主張しているとありました。そして、それが事実かどうか王室の書庫を調べてほしいというものでした(6-17)。妨害などなければと願いますが、困難な中にこそ、様々な方法による神様の守りを知ることができます。

エズラ 6章
ユーフラテス川西方の総督タテナイらの訴えを受け、ペルシアの王ダレイオスは早速、文書保管所を調べるとエクバタナで巻物が見つかり、キュロス王の時にエルサレムの主の宮の再建に関する細かい命令が発見されました(1-5)。結果的に、訴え出た者たちに対して、王は工事を妨げてはならない。財政的な援助をし、さらにいけにえを提供する。そして、王家の祝福のためにとりなしの祈りを求めるように命令しました。反対者は妨害どころか、再建を支援することになりました(6-12)。神は神殿再建のためにアッシリア、バビロンさえも支配したペルシアの王キュロス、ダレイオス、そして完成後の王アルタクセルクセスをも用いられました(13-15)。イスラエルの民はソロモン時代とは比べ物にならないほど僅かですが奉献式を行い(16-18)、続いて過ぎ越しの祭りと種なしパンの祭りを行いました(16-22)。主は患難さえも逆転して、それを大いなる祝福に用いられるお方です。

エズラ 7章
神殿が再建されてから五十数年の時が経ち、アルタクセルクセスの第七年(BC457年)、エズラは帰還を果しました。エズラはアロンの系図に属し、そこにはヒルキヤやツァドクの名もあり、さらには学者でもありました(1-6)。その帰還に際して、エズラは王の手紙をもってエルサレムに上りました(7-10)。その内容は、帰還したい者たちは帰還し、王家からの金銀によって必要ないけにえなどを購入し、また主の宮で必要なものを整えることできる。さらに、それ以外に必要なものがあれば、その地域の管轄者に求めることができ、主の宮に仕える者たちの必要が満たされるようにする。また、神の知恵に従って、神の律法により、さばきを執行するようにとの命令が書かれていました(11-26)。これらのことは、主ご自身が主の宮に栄光を与えるために王に働かれたことのゆえでした(27-28)。すべての出来事の背後に、主の働きをあることを覚えて、主をほめたたえ、主に栄光を帰しましょう。

エズラ 8章
エズラとともにエルサレムに上った一族のかしらとその系図が紹介されます。二章で最初に帰還した人々に比べるとその数は少なくなっています(1-14)。彼らはバビロンの近くのアハワという場所に集結し、出発に備えました。そこには、宗教的儀式に関わるレビ人がいなかったため、エズラはレビ人を集めました。この出来事の背後にも神の恵みの御手がありました(15-20)。そして出発を前にして断食をもって主に祈り、神の御手に委ね、主のみを頼りことを決断して千数百キロの旅に出発しました(21-23)。また選ばれた祭司たちに、主の宮で使うための道具を守るように託しました(24-30)。帰還者たちは神の御手に守られ、無事にエルサレムにつき、携えてきたものを主の宮にささげました(31-34)。そして、主にいけにえをささげ、また王の手紙をその地方の総督たちに渡しました(35-36)。主の御手が行くにも帰るにも私たちを守られることを信じましょう。

エズラ 9章
先に帰還していた民さらには祭司やレビ人の中に、雑婚によって偶像礼拝や不道徳といった異教の神々の習慣と深く関わりを持っている者たちがいることが報告されました(1-2)。エズラはこのことを恥、神を恐れる者たちとともにこの状況に深く嘆き、茫然となりました(3-4)。夕方になり、エズラは立ち上がって主に祈りをささげます。自分たちの姿を恥、自分たちがなぜ捕囚の憂き目にあったのかを回顧し、主の憐れみによって天幕を張るための杭にたとえて神殿の再建そして帰還の道が開かれた恵みを感謝します(5-9)。にもかかわらず、私たちは、再び、あなたの命令に従わず、異国の汚れで自らを汚し、忌むべきことを行い、異国の民の生き方に倣い、姻戚関係に入っています。このままでは残りの民さえも、断ち滅ぼされても仕方のない状態です(10-15)。エズラはその状況を自分自身の問題として悔い改め主に祈りました。私たちは罪の悔い改めなしに赦しはありません。

エズラ 10章
悔い改めの祈りをささげるエズラの姿を見て、エラムの子孫シェカンヤが立ち上がり、自分の罪を認め、異国の妻と子どもたちとの決別を実行することを提案します(1-5)。エズラは三日のうちにエルサレムに集まるように民に呼びかけ、それに応じないならば、イスラエルの中から除名されるという厳しい通達を出しました(6-8)。エズラが民に対して、異国の女から離れるようにと命じると、民はまず調査をし、そして町ごとに時を定め、それから指導者のもとにでることを約束しました(9-14)。反対者もいましたが提案は受け入れられ、最後に異国の女を妻としてめとった人々の名が記録されています(15-44)。そのような人々の数は全体から見ればわずかですが、祭司やレビ人の名もありました。この問題は人種差別ではなく、律法に従って、彼らがこの時になすべき罪に対する徹底した態度でした。私たちが今、神の前に徹底すべき、決別すべき問題はなんでしょうか。