ヨナ書

ヨナ書
ヨナは、ヤロブアム二世(前8世紀)の時の北王国の預言者(Ⅱ列14:25)と思われます。南北両王国の侵略をもくろんでいたアッシリアの首都ニネベで主のことばを語るように命じられます。彼はそれを拒否しますが、そこには敵国に対する主のあわれみを許せない思いがあったのでしょう(4:2)。しかし、神は不思議な方法で、ヨナをもう一度、働きに戻します(1章)。ヨナは魚の腹の中で主と向き合います(2章)。彼がニネベで主のさばきを語るとニネベの人々は悔い改め、主のさばきを免れます(3章)。そのことで、ヨナは不愉快になりますが、主のあわれみを知らされます(4章)。この書は、主がすべての国の神であり、悔い改めるなら、そのあわれみはすべての人に及ぶことを示します。また主の働き、宣教の責任に心を向けさせます。またイエス様がヨナ書を通して、復活の型(マタイ12:38-41)、悔い改めの模範(ルカ11:29-32)を語られたことにも心をとめます。

ヨナ書 1章
主はヨナにイスラエルの敵であるアッシリアのニネベで、さばきを宣言し、悔い改めを叫ぶように求めます。ヨナは主の御顔を避けて、反対に向かうタルシシュ(スペイン)行きの船に乗り込みます(1-4)。しかし主は暴風雨を送ります。水夫たちは荷を捨て、何とか難船を避けようとしますが、ヨナは船底で寝入り、外国人の船長から神に祈るように言われます(5-6)人々は誰が原因なのかを知ろうとくじを引くと、ヨナにあたります。ヨナは事の次第を彼らに伝えます(7-10)。ヨナは自分を海に投げ込めば、事が収まると伝えますが、水夫たちは自力で努力します。しかし状況が悪くなり、ついにヨナを海に投げ入れます。すると海は凪となりました。人々は非常に主を恐れ、主にいけにえをささげます(11-16)。主は大きな魚を備え、ヨナは三日三晩、魚の腹にとどまりました(17)。すべての国に悔い改めを求める主を覚えます。主の御顔(命令、導き)を避けた経験があるだろうか。

ヨナ書 2章
海に投げ込まれ、まさに死の寸前、ある人は実際、死を通されたのではないかとも考えますが、ヨナは海の深み落ちながら、もう一度、神殿を仰ぎ見たいと願います。水が取り囲み、海藻が絡みつき、と絶望的な状況の中で、神様に思いを向けます。その時、主は、魚を通してヨナを奇跡的に救い出します。ヨナは、そのことを覚えて、魚の腹の中で祈りました(1-6)。主はヨナのいのちを救い出されました。ヨナは、どん底の中で主に叫ぶと、主は助けてくださり、無益なものに頼る者は恵みを捨て去り、救いは主のものであると告白します。ヨナはもう一度、誓いを、自分の使命を覚えます(7-9)。そして三日目に、主の御手により、魚は、地中海岸のどこかの陸地に彼を吐き出します(10)。主は引き戻し、必ずご自身の計画を実行されます。苦難の中で叫ぶ時、そこに助けが備えられます。苦難の中で主に向かい合う時が与えられます。主なる神は滅びの中から私たちを救い出されるお方です。

ヨナ書 3章
主はもう一度、ヨナに語られます。ヨナは再出発の機会が与えられます(1-2)。ヨナは、あらためて召しを受け、ニネベに向かいます。大きく、大勢の人がいるニネベに立ち、ヨナは巡り歩き、滅びを宣言します(3-4)。ヨナを通して語られた主の宣告を聞き、ニネベの人々は、身分の高い者から低い者に至るまで、王も悔い改め、粗布をまとい、灰の上に座します。さらに、家畜に至るまで、断食し、ひたすら神に願い、悪の道から立ち返るように布告します。そうすれば、主があわれみ、滅びないですむかもしれないと彼らは期待します(5-9)。主は、彼らの心からの悔い改めをご覧になり、わざわいを思い直されます(10)。再出発の恵みがあります。さばきの宣言は悔い改めに導くためのものです。悔い改めるものを神様は赦してくださいます。それゆえ、私たちは、主のことばを真っすぐに語り、私たちも日々悔い改め、そしてこの国、世界が変わることを祈り続けましょう。

ヨナ書 4章
ヨナは神がニネベの民へのわざわいを思い直されたことに怒ります。ヨナは主なる神が情け深くあわれみに富み、恵み豊かでわざわいを思い直されることを知っていたと言います。イスラエルの敵が助けられ、さらに自分が語った事が実現しないことに面子がつぶされたような気になったでしょうか。ヨナは死を願います。すると神はヨナに、当然であるかのように、自分が正しいかのように怒るのかと問います(1-4)。なおもヨナはニネベに審判が下ることを期待してか、離れて町を眺めます。神はヨナに、暑さを避けるための唐胡麻を備え、ヨナはそれを喜びます。ところが神の備えた一匹の虫が唐胡麻を枯らすと、ヨナは再び死を願います。神はヨナに、あなたがこの一本の木を嘆くように、わたしはこの町の大勢の民を惜しむと語られました(5-11)。自分の思うようにいかないと怒り、自分の目の梁に目をつむり、人の塵を責めます。神は愛とあわれみのお方であり、すべての人の神です。