礼拝メッセージ2016
                
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礼拝メッセージ
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福音伝道教団
大泉キリスト教会

Oizumi Christ Church
毎週日曜日 
朝10時半より礼拝

Second Sunday PM 2:00
English Service
連絡先
 群馬県邑楽郡大泉町住吉30-8 
        (ベスタ大泉近く)
 電話 0276-63-2329
 アクセス(教会への行き方)
日付 聖書個所 メッセージタイトルMP3(2週分) 説教要旨
2017年3月26日 ヨハネ18:1-13「だれをさがすのか」子どもと一緒の礼拝
【メッセージメモ】他の箇所:ヨハ17:12、ルカ22:51 お話を聞きながら、【 】をうめましょう。 
☆ヨハネの福音書は【     】章あります。その半分以上は、イエス様の【       】までの一週間のことが書かれています。
☆イエス様たちは、【      】の谷をこえて、【      】の園に行きました。
☆イエス様は自分から進んでたいほされました。それは【      】のご計画がじつげんするためでした。
☆イエス様の「それはわたしです」は【               】という言葉です。これは神の子のけんいをもって語りました。
≪まとめ≫
1.イエス様は私たちの【           】、救いを与えるために十字架に向かわれた。
2.イエス様は神の子、神の【      】を持つお方です。
2017年3月19日 マラキ4:1-6「その日が来る」
預言書における「時」には、近い将来の預言、御子の誕生における終末の時代の預言、やがて御子が再臨による終末の完成の時という三つの視点を踏まえておく必要があります。主の日には悪しきものは徹底したさばきがなされます。しかし主を恐れるものには義の太陽が、いやしが、喜びが訪れます。そして主の日の前には備えのための使者が送られるのです。すでに始まったその日を覚えつつ、さらに完成を待ち望みつつ、私たちは今の時代にみ言葉を記憶し、そこに生きるために召されています。【聖書】マタイ4:16、Ⅰ列王、マタ17:10-13
2017年3月12日 牧師がインフルエンザとなりメッセージはインターネットを利用
2017年3月5日 マラキ3:13-18「神の宝」
神様は、アブラハムを選び、イスラエル、そして私たちを祭司、宝、わたしのもの、あわれみを受ける者と語られます。しかし私たちの現実においては、イスラエルの民が叫んだような言葉(14-15)のような現実に直面します。しかし、主は聞いておられる。主はその中で正しいさばきをなされる。それが主を恐れる者の姿です(16)。そして主は変わることのない約束を語られます(17)。ここに私たちの存在が語られます。主なる神とともにあることの代えがたい恵みに生きる者となりましょう。【聖書】出エジ19:5-6、Ⅰペテ2:9-10、ルカ15:29-31、詩篇73:28
2017年2月26日 Ⅱれつおう18:19「なにによりたのむのか」子どもと一緒
せいしょ:だい2れつおうき18-19しょう  
おはなしをききながら、【 】をうめていきましょう。 
☆きょうのおはなしのしゅじんこうは【        】おうです。かれは、【    】さいのときにおうになり、しっぱいもしましたが、とても【    】おうさまでした。
☆きた【          】おうこくは、【          】というくににほろぼされ、そのてきは、さらにユダおうこくにもやってきました。
☆てきのこえに、たみは【         】いました。おうはかみさまに【       】ました。そして神様は【     】くださいました。≪まとめ≫ わたしたちはどんなときにもかみさまを【         】します。 
2017年2月19日 マラキ3:1-6(12)「変わることのない神」
「さばきの神はどこにいるのか」(2:17)との声に、神様は、やがて主が来られると語ります。その前にはまず使者が遣わされます。この言葉は主イエスの働きの前に、バプテスマのヨハネが遣わされ実現します。主は正しいさばきをなさいます。しかし、何より主は救い主です。神の愛は変わることなくイスラエルに、そして私たちに注がれます。その神様に対する私たちの姿勢はどうでしょうか。特にささげること、今日は、献金の姿勢に向き合う時といたしましょう。【聖書】マラキ2:17、マタイ11:10-11、創14:20、4:3-5、マルコ12:41、Ⅱコリ9:7
2017年2月12日 マラキ2:10-12(17)「創造の秩序」
聖書は、創世記において、この世界の始まり、人類の始まりについて明確に語ります。さらにその人類の創造に伴う、夫婦の秩序についても語っています。今日のマラキ書はそのような創世記を念頭に置きながら読んでいく必要があります。神様との契約、関係を軽んじるならば、それは結果的に、夫婦の関係を、そしてさらには人と人との態度にも影響が出てきます。神様との関係はどうでしょうか。夫婦の関係はどうでしょうか。創造に伴い与えられた麗しい夫婦の関係に心を留めつつ、神との、そして人との関係を考えて見ましょう。【聖書】創世記1-3章
2017年2月5日 マラキ2:1-9「いのちと平和の契約」
本来、祭司の務めは5-7節にあるようにいのちと平和なるお方に民の心を向け続け、真の神を畏れ、そして、与えられた律法を通して真理を教え、知識を守り、神とともに歩み、多くの人を罪から立ち返らせる役割を担っていた。それなのに、彼らの現実は、道から外れ、多くのものを教えによってつまずかせた。それゆえに祝福がのろいと変わった。しかし神様はなおも「もし、あなたがたが聞き入れず、わたし名に栄光を帰することを心に留めないなら」そうなると語り続ける。祭司であるクリスチャンとしての私たちの歩みはどうだろうか。【聖書】Ⅰペテロ2:9
2017年1月29日 詩篇63篇「恵みは命に勝るもの」信徒役員メッセージ アップなし
2017年1月22日 士師記6:12(6-7章)「弱いものが勇者となる」子どもと一緒
せいしょ:士師記6:19-40、7:9-25                                                     Q1 ギデオンは、聖書のどこに出て来る人でしょうか。
  【      】せいしょ  【      】   【      】しょう
Q2 ししのきの4つのながれは
  【       】⇒【       】⇒【       】⇒【       】…
Q3 へいしたちはなんにんになったか
  【        】⇒【        】⇒【    】
まとめ
1.かみさまは【        】おられる⇒よわくても【       】になる
2.あなたの【         】でいく⇒あなたがもっているものはなにかな?
3.ちいさないっぽを【        】⇒あなたにとってのそれはなにかな?
2017年1月15日 マラキ1:6(6-14)「受け入れられるだろうか」
神様は、イスラエルの民、特に民を指導すべき立場の祭司たちの態度を叱責します。彼らの捧げものに対する態度は、まさしく神様を軽んじているというのです。それに対して彼らは「どのようにして」と反論します。神様は、
ささげものとしてふさわしくないものを受け取り、平気で捧げているその態度をしてきます。この事は単に、「ささげもの」それ自体の問題にとどまるものではなく、ささげる人々の姿勢、それを扱う祭司の心、神様の前に立つ姿が問題とされているのです。私たちは神様の前にどうでしょうか。【聖書】Ⅰペテロ2:9、マル12:41-44
2017年1月8日 マラキ1:1-5「愛の中に選ばれた」
マラキ書の背景は、民の心が神から離れ、形式的な礼拝、神様への不信がありました。その民に対して、神様はまず、あなたがたを愛し続けていると語ります。しかし民はどのようにしてそうなのかと不信の声を挙げます。神様の愛とは、選びの愛であり、その結ばれた契約は決して変わることのない約束です。そのような愛の中にイスラエルの民は、そして私たちも招かれたのです。それは決して変わる事がありません。【聖書】ハガイ、ゼカリヤ、創世記25章以降、ヘブル12:16、ローマ9:11-16
2017年1月1日 マラキ3:10「ためしてみよ」
しばらく、ハガイ、ゼカリヤ、そして今年マラキと旧約聖書の預言書の後半の部分を取り上げています。ハガイやゼカリヤによって神殿再建のための励ましが語られ、実現します。そこにある人々の期待と裏腹に願うように変わらない現実に民の心は沈んでいきます。そこにマラキが遣わされ、再び神様との関係を回復するように語ります。大いなる祝福を受けるチャレンジを民は受けるのです。今年、私たちも神様に期待して、なすべきことをなし続け、挑戦しつづけましょう【聖書】マラキ3:8,9、申命記6:16
2016年12月25日 ルカ2:11「あなたのための救い主」クリスマス・感謝礼拝 
証M.Nさん(録音アップなし)

皆さんにとって、今年一年は、どんな年であったでしょうか。今日は、イエス様の誕生と同時に起きた羊飼いたちのところに、天使が現れた出来事からクリスマスのお話を見ます。世界で初めにイエス様の誕生を知らされたのは、羊飼いという弱く、小さく、貧しい人々でした。しかし、その知らせは、今や全世界に伝わり、この日本に住む私たちにまで届きました。その良き知らせは、主イエス・キリストは、私たちの救い主であるという知らせです。暗やみに光を与えるお方です。ぜひこのお方を、このクリスマスの時に信じましょう。
2016年12月18日 ルカ2:1-7「イエス様の場所を空ける」アドベント第四

♪世界ではじめのクリスマスは ユダヤのいなかのベツレヘム 宿にも泊まれず家畜小屋で マリヤとヨセフの二人だけ 赤子のイエス様、草の産着 ゆりかご代わりの飼い葉桶 優しい光に見守られて 恵みの光が照らすだけ♪私たちの心の中にはイエス様がおられる場所、イエス様がおられる余地、イエス様がおられる機会があるでしょうか。悲しい現実ですが、この世界には、イエス様の入る余地、いる場所、思いを寄せる時間がありません。クリスマスの時、イエス様が一人一人の心に住まわれることを願います。【聖書】ミカ5:2、ハガイ1:5、ヨハネ1:10-13
2016年12月11日 マタイ1:18-25「ともにおられる神」アドベント第三

先週のマリヤへの受胎告知に続いて、今日はヨセフに告げられたイエス様誕生の予告です。その出来事の中から、私たちとともにおられる神様という事を心に留めます。ヨセフは身重になった婚約者マリヤへの対応を思い巡らしていた時にみ使いに語られます。その生まれてくる子どもは「罪からの救い主」であると語られます。その約束は、今も私たちに語られます。罪からの救い主であり、そしてこのお方を通して、私たちは神様とともに生きるものとなるのです。【聖書】申22:23-24、24:1、イザ7:14、マタイ28:20
2016年12月4日 ルカ1:26-38「神の恵みを受ける」アドベント第二

おそらく十代半ばから後半程度のナザレに住むマリヤの下にみ使いが現れました。彼女はダビデの家系のヨセフの婚約者で、マリヤも同じくダビデの家系であり、預言の通りダビデの系図からの救い主の誕生が実現します。御使いは、喜びなさい、恵まれたものと語りました。その内容はとても簡単に受け止め切れないようなものでありましたが、マリヤは主のことばに従います。そこに喜び、恵みを受けるものとなったのです。その恵み、喜びは私たちにも、その御子イエス様を通して注がれているのです。【聖書】エペソ1:6、詩篇33:5
2016年11月27日 ルカ1:5-25「時が来れば実現する」子どもと一緒

ザカリヤとエリサベツは年を取っており、子どもがいませんでした。ある日ザカリヤが奉仕のために聖所に入ると、み使いガブリエルが現れて、二人の間に子どもが与えられ、神様の大切な働きをすることになると語られました。ザカリヤはどうしてそんなことがと思いましたが、み使いは、その時が来れば実現すると言われました。イエス様が誕生される前から、神様は救い主の誕生のための備えをしておられました。私たちにも神様は必ず備えをし、そして時が来れば実現します。【聖書】Ⅰ歴24章、民数6:24-26、マラキ4:5-6、Ⅰ列王17章、ユダ、ルカ1:57以下
2016年11月20日 マタイ19:13-15「邪魔をするな」子ども祝福式

イエス様の周りには、その話に耳を傾け、不思議な御業を一目見ようと人々が集まっていました。そんな人々に話をしておると、子どもたちがイエス様の下に連れて来られました。ところが弟子たちは、子どもたちがイエス様の邪魔をしてはならないとしかりました。しかしイエス様は子どもたちが自分の下に来ることを邪魔してはいけないと弟子たちをしかりました。子どもたちを愛されるイエス様。そして子どものようにイエス様の下に来ることをイエス様は願っておられるのです。【聖書】創2:23,24、マタイ20:29以下、マタイ18:3-5
2016年11月13日 Ⅰテサロニケ5:23- 28「召された方は真実な方」

手紙の締めくくりの部分、それは祈りのことばで締めくくっています。私たちはイエス様の十字架の贖いによって罪を赦され、神の子とされ、神様との平和を得ました。平和の神ご自身が、私たちを全く聖なるものとしてくださいます。主の再臨の時まで守ってくださいます。私たちを召された方は真実であるゆえに必ずしてくださいます。そして互いのために祈ります。その最後は祝祷の祈りをもって、一人一人の上に神様の恵みが祈られ手紙が閉じられます。私たちもこの真実な方に祈りましょう。【聖書】エペソ2:14-19、Ⅱコリ13:13、Ⅰテサ1:1
2016年11月6日 Ⅰテサロニケ5:12-22 「どのように生きるべきか」

たった一つにみことばであっても、徹底して実行するとしたら難しい、というより、実際はできないという現実に直面します。まさしく、神様の願うようには完全に歩めない罪人である自分を知らされます。しかし、今日、心に留めたいことは、たった一つでもいいから、そこに生きようとする挑戦です。今日、あなたに語られる神様の語りかけを聞き取って、そこに徹底的に生きることを願いつつそれぞれの歩みに踏み出してみましょう。【聖書】ヤコブ3:1、Ⅰテサ5:8、マタイ7:2
2016年10月30日 Ⅰテサロニケ5:1-11 「主の日に備えて生きる」

主の日はいつ来るのかという事について、それは盗人が突然来るように、しかし妊婦に産みの苦しみが必ず望むように、いつかははっきりとは分からないが、必ず来るのだと聖書は語ります。その日に備えて、光や闇か、二つの生き方があります。私たちに求められている生き方は、信仰と愛と希望をもって、注意深く、目を覚まして生きることです。そのために主は私たちとともにあって、救いを確かにものとしてくださり、そしてまたともに歩むものたちを備えてくださるのです。【聖書】エペソ5:18
2016年10月23日 Ⅰサムエル16:6-7 「心を見られる神様」子どもと一緒

イスラエルの最初の王であったサウルは神様の願われるような歩みをすることが出来ませんでした。神様はサムエルにエッサイという家族のところに出かけていくように命じました。サムエルはエッサイの長男を見た時に、この人こそ次の王様だと思いました。しかし、神様は、この人ではないと言いました。そして「人はうわべを見るが、主は心を見る」と言われました。次から次に連れて来られる子どもたちも主の御心にかないませんでした。最後にダビデが連れて来られた時に、神様は、心をご覧になられて選ばれました。
2016年10月16日 Ⅰテサロニケ4:13-18 「終わりの日の慰め」

終末における大きな枠組みとして、第一にイエス様が再び来られるということ。第二に、その日は審判の時となること、そして第三に新天新地が訪れるとういことであります。その大きな流れがあって、細かい点ではいくつかの解釈があります。今日の個所は、その中にあって、イエス様の再臨において主にあって死んだものが栄光のからだにまずよみがえり、そして生きている者たちが天に引き上げられ主を会いまみえることが語られます。携挙ともいわれます。この希望のゆえに私たちは慰められるのです。【聖書】マタ24:3,30、25:31-33,46、黙21:1-5
2016年10月9日 Ⅰテサロニケ4:1-2(1-12) 「愛と聖さを求めて」

この教会の属している福音伝道教団の基本方針の中に、愛と聖さを求めるとあります。今日の個所にも、その愛と聖さについての具体的な事柄が出てまいります。その根底に「神に喜ばれる」歩みがあります。そして、ますますそのように歩めるようにという日々の成長があります。その中で、特にここでは性的な純潔、兄弟愛、そしてその中にあって勤勉に、忠実な歩みが具体的に語られます。何より、神様は、私たちに聖潔を得させるために召してくださったことを心に留めてまいりましょう。【聖書】ピリピ3:16
2016年10月2日 Ⅰコリント15:1-11 「ゴスペル、良き知らせ」

福音、それは英語ではゴスペルと言われます。それは神様からの素晴らしい知らせのことです。パウロという人はこの福音を今日の個所で短くまとめています。この福音によってパウロの人生は変えられました。そのメッセージの中心は、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架にかかり死なれた事、そして罪の結果である死を打ち破り復活された事です。そしてそれを信じるものは、すべてその同じ恵みにあずかるものとなれるのです。あなたも今日、この良き知らせを受け取りませんか。
2016年9月25日 ヨハネ20:24-29 「あなたがたは幸いです」 子どもと一緒

今日は、イエス様が語られた幸いについて、弟子のトマスの出来事に目を留めて見てまいります。イエス様が私たちの罪のために十字架にかかって死なれ、三日目によみがえられ、弟子たちのところにやって来られた時に、トマスはそこにいませんでした。彼は、自分の目で確かめ、イエス様の傷に触れなければ信じられないと言いました。そんなトマスにイエス様は現れ、その信仰を励ましました。私たちは今、イエス様を見ることはできませんが、聖書を通して知り、何より、「見ずに信じる者は幸い」と言われるのです。
2016年9月18日 Ⅰテサロニケ3:11-13 「祈り求める」

今日の個所はパウロの祈りであります。三つの点に目を留めてまいりましょう。その前に、パウロは昼によるに熱心に祈ったとあります。私たちも祈り求める者となりたいと願います。ある本にあるように祈りは「私を変え、教会を変える」からです。さて、パウロの第一の願いはテサロニケの人々に会いたい、それはパルロの心から願いでした。心から願いを注ぐことです。第二は愛が増し加わるように、そして第三が聖なるものとなるようにです。私たちのこのように祈り求めて参りましょう。【聖書】エペソ4:10、Ⅰヨハネ5:14、マタイ25:21、Ⅰ列王3:9
2016年9月11日 Ⅰテサロニケ3:1-10 「信じ、愛し合う群れ」

私たちクリスチャンの歩みは、どのような歩みを目指すべきでしょうか。今日の個所においてテサロニケの人々の中にある「信仰と愛」についてパウロは触れています。パウロは主にあって強め励ますために、テモテをテサロニケの教会に遣わし、その喜びの知らせを受けました。主にあって私たちは恵みとともに困難さえも受けることは確かなことです。しかし、その中にあって、信仰と愛を主に強められて輝かせましょう。【聖書】Ⅱテサロニケ3:3、Ⅱテモテ3:12、Ⅰテサ5:8、ヨハ13:34、使徒18:9-10
2016年9月4日 Ⅰテサロニケ2:13-20 「神の言葉にゆだねられる」

】テサロニケの人々は、パウロがイエス様を語ったとき、それを人間のことばとしてではなく、神のことばとして受け入れたというのです。そして、今日私たちには神の言葉である聖書が与えられています。この言葉を単に人が書いたものとしてではなく、神の言葉として私たちに語りかけてきます。そればかりか、この言葉は私たちのうちに働くのです。そしてみ言葉に導かれて歩む私たちは、やがての日に、望み、喜び、誇りの冠となることができるのです。【聖書】ルカ23:34、ハガイ1:5、使徒20:32、Ⅱテモテ4:6-8、2:6
2016年8月28日 マタイ14:22-33 「何を見ているのか」子どもと一緒

イエス様は、五つのパンと二匹の魚で男の人5千人の空腹を満たした後、弟子たちを先に船で向こう岸に渡らせ、自分は山で神様に祈られました。真夜中にイエス様は歩いて弟子たちの船に近づかれました。弟子たちは驚きましたが、ペテロはイエス様なら、私に来るように言ってくださいと言いました。ペテロはイエス様を信じて、水の上に足を踏み出し、水の上を歩きましたが、風を見ると沈み始めました。ペテロはイエス様に助けを求めました。私たちもイエス様から目を離す時に、沈むことに支配されるのです。
2016年8月21日 ローマ8:14-17 「神に導かれる人」 怒木教会役員 録音アップなし
2016年8月14日 Ⅰテサロニケ2:7-12 「母のように、父のように」

パウロは1-6節に続いて、どのように福音をテサロニケで伝えたかについて、母親が、子どもを養い育てるように、そしてまた、父が子に教えるように語ってきたことを手紙に記しました。それはパウロ自身がキリストの愛に促されて愛するものとされたように、パウロ自身が持っている神ご自身の御国と栄光に召してくださっている希望のゆえにその神にふさわしく歩むことを求めるのです。パウロは、どんなに遠くにいても、今一緒にいられなくてもキリストにあってその心がテサロニケの人々ともにあるのです。【聖書】第一ヨハネ3:16、4:19-21、イザヤ49:15
2016年8月7日 Ⅰテサロニケ2:1-6 「福音をゆだねられたもの」

2章1節―12節にはパウロたちの伝道に対する非難への弁明が含まれています。まず、パウロはテサロニケで福音を伝えたことは無駄ではなかった。あなたがたという実を結んだことを語ります。私たちの労苦も決して無駄ではありません。何よりその働きは神の内にある働きです。そしてその動機は人を喜ばせるためではなく、神を喜ばせるという事であったと述べます。それは福音をゆだねられたものとして使命です。そして今、福音は、私たちに託されたのです。【聖書】使16章、Ⅰコリ15:58、Ⅱコリ11:21-30、ローマ15:16、Ⅰコリ11:26
2016年7月31日 Ⅰテサロニケ1:4-10「切り出された存在」

私たちが、クリスチャンになる前の岩、それはどんな姿、どんな場所だったでしょうか。パウロはテサロニケの人々に対して、あなたがたは、神に選ばれ、愛された存在であるとまず語ります。どのようにしてそのようなものとされたのかというならば、福音宣教のことばと何より、聖霊なる神様による力と強い確信によってでした。そしてその姿はほかの地域にも伝わったのでした。彼らはもともと偶像の下にあって、しかし今は生ける真の神の下にあって、キリストの再び来られるその時を待ち望んでいるのです。【聖書】エペソ1:4、ローマ10:14、ローマ5:3-5、イザヤ44章
2016年7月24日 出エジプト14:10-14「おそれるな」子どもと一緒

イスラエルの民がエジプトで奴隷の苦しみの中で叫ぶと、神様はモーセを遣わし彼らをエジプトから脱出させました。ところが、エジプト王が背後から連れ戻そうと迫ってきました。民は恐れ、叫び、心の奥底にあるものが言葉として出ます。その民に向かって、神様はモーセを通して語られました。「恐れてはいけません」「しっかりと立ちなさい」「今日、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい」「あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることありません」「主があなたがたのために戦われます」「あなたがたは黙っていなければなりません」
2016年7月17日 Ⅰテサロニケ1:1-3「信仰、愛、希望」

パウロは、この手紙の差出人、受取人、そして「恵みと平安があなたがたの上にありますように」と挨拶して手紙を書き出します。パウロはまず感謝の言葉を述べますが、そこにはテサロニケの一人一人の姿を思うからでありました。その姿は、「信仰、愛、希望」にありました。特にここでパウロはさらに「信仰の働き」「愛の労苦」「主イエス・キリストへの望みの忍耐」と語りました。これはクリスチャンの本質を描いているとも言えます。【聖書】Ⅰコリ13:13、ローマ5:1-5、エペソ1:15-19、エペソ4:2-5、コロ1:4-5、Ⅰテサ5:8、Ⅰテモテ6:11、テト2:2
2016年7月10日 Ⅰテサロニケ1:1「テサロニケの教会」

テサロニケの手紙は新約聖書中で最初に書かれたものと考えられています。テサロニケの町はとても重要な港町であり、さらに様々な異教の神々が祭られていました。この町の伝道はパウロの第二次伝道旅行(使徒17章)に結びつきます。やがて町を追い出されたパウロは心配をしてテモテを送り、その報告を受けて、手紙を書きます。そこには神様に召されたものとしてどう生きるか。そしてやがてもう一度来られるイエス様を待ち望むことについて語られるのです。それは私たちにとっても同様です。【聖書】使徒17:1-15、Ⅰテサ3:1-9、Ⅱコリ11:8,9、8:1-5
2016年7月3日 出エジプト24:1,2(24章)「契約の血」

24章は一つの区切りとなり、25章からは幕屋に関することが記されます。24章にはイスラエルの民と神との契約が記されます。指導者たちはまず神様に礼拝をささげます。そして、その後に、契約のことばが読まれ、民が約束し、そして、犠牲が捧げられ、契約の血をもって、契約が結ばれます。その型は、後にイエス様が十字架でご自身の血を流され、そしてその出来事に心を向ける聖餐式に思いを向ける出来事です。その後、モーセはシナイ山に登り、そこで四十日四十夜を過ごすのです。【聖書】へブル書9:18-28、マタイ26:26-29、Ⅰコリント11:23-29
2016年6月26日 使徒28:23,24(27,28章)「イエスさまをつたえよう」

使徒の働きには、イエス様の弟子たちが、イエス様の十字架の死と復活を通して、与えられた救いの良き知らせ(福音)を全世界に伝えていく出来事が記されています。特に今日はパウロという人の働きに目を止めますが、パウロがローマに向かう途中で起きた様々な出来事を見ていきます。使徒の働きはパウロがローマに着いた28章で物語は終わりますが、イエス様の弟子たちがイエス様を伝える物語はそれで終わったのではありません。そして今は、私たちを通して、その物語は続いているのです。
2016年6月19日 出エジプト23:20-22(23章)「神とともに歩み続ける」

今日の個所では、証人の公正さ(1-3)、動物保護(4-5)、裁判官の正義(6-8)、弱者への誠実(9)、安息について(10-13)、大切な祭り(14-19)、約束の地に向けて(20-32)という事について駆け足てみてまいります。特に20-22節に目を留め、神様がイスラエルの民に対して、先立つお方を遣わし、守り、導かれることを踏まえて、私たちのこの地上の生涯においても同じ神様が私たちを、この地上の一歩一歩の歩みを導き、天の御国に導き入れてくださることに思いを寄せましょう。【聖書】レビ記25:21,22
2016年6月12日 出エジプト22:31(22章)「聖なる民として生きる」

21章に続き、日常に起こりうる細かな規定の中から、どんなことが大事にされているかに注目します。その根底には十戒がありますが、カギとなるのが31節の「あなたがたは、わたしの聖なる民でなければならない」という言葉です。すなわち、諸国の民の生き方とあなたがたが同じであってはならない、いや、同じはずがない。あなたがたは、この世にあって「神の民となる」ではなく「神の民である」生き方がある。創造の秩序と唯一の神を覚えて、神の聖さと正義と愛を表しましょう。【聖書】Ⅰペテロ2:9,10、ヘブ13:4、ヤコブ1:27、ローマ11:36、Ⅰコリ4:1-2
2016年6月5日 出エジプト21:15-17(21章)「私たちの日常に関わる神」

今日からしばらくの間は細かい規定を見ていくことになります。20章22節からのところに、神様のみを主として礼拝すべきことが語られます。さらに、21章1節からには、奴隷に対する扱いや死刑についての規定が記されます。神のかたちに造られた人間の権利について、罪の現実の中でどう守られるかが問われます。また18節以降からの賠償などの細かい規定を読む時に、神様が私たちの些細なことにまで目を留めていることを覚えることが出来ます。救われたものとして、日々主の栄光を隅々にまで表すとものとして生きてまいりましょう【聖書】創1:26
2016年5月29日 ローマ5:1-5「患難は栄光への通路」講壇交換 安田洋牧師

ここにはクリスチャンが喜び感謝できる根拠があります。それは「信仰によって義と認められた(救われた)」(1節)結果、キリスト者には1、2節にある「三つの実」が保証されたからです。過去においては信じたその時から神との「平和」を、現在においては神の「恵み」が継続し、将来においてはキリストとまみえる「栄光」の中へと携え入れられるとの。といってもキリスト者には患難がないわけではありません。しかし「患難さえも」喜び、感謝できる。それは常に、あらゆる事に「神の愛が私たちの心に注がれているから」(5節)です。つまり患難にさえ恵み深い神のご目的があり、患難が生み出す良いもの、それは「忍耐」「品性」「希望」へとの通路を通らせられて与えられます。
2016年5月22日 使徒9:1-6(1-22)「人生が変わる」

今日は、聖書の中から人生が、180度変わった人物を通して「人生が変わる」という事について一緒に考えます。今日の登場人物は、サウロ、後のパウロと呼ばれる人です。彼はイエス様に出会う前は、有名な先生に学び、ローマの市民権を持ち、ユダヤ教にも熱心でした。そしてイエス様を信じる人たちを迫害しました。しかし、彼はイエス様に出会って人生が全く変わりました。自分の力ではなく、神様が人を変えます。神様の計画は決して変わりません。そして、その人が変わる時に、周りの人たちも変わっていくのです。
2016年5月15日 出エジプト20:1-2(20章)「祝福の中を歩む」

それぞれの家庭には決まりがあるかもしません。それを破ったら家のメンバーでなくなるという事ではなく、一員としての責任、大切なこととしての決まりがあります。イスラエルの民は神に民として、そして、私たちクリスチャンも神の子どもとしての立場を与えられたものが、どのように歩んでいくことが祝福の中を歩む道なのか、そこに十戒を通して示された神様の恵みがあるのです。時には、その命令に生きられない自分に気が付く。しかしそこにイエス様の恵み、何より聖霊なる神様の導きに期待するのです【聖書】ルカ12:34、、マタイ5章、9:12-13、Ⅰヨハ1:8-9
2016年5月8日 出エジプト19:1-6(19章)「あなたの特別な使命」

出エジプト記の中でも分岐点となる箇所です。神様の時の中で、民は神と契約を結び、律法を与えられます。民を代表してシナイ山に登ったモーセに、神様は、「エジプトでのこと」「あなたがたを鷲の翼に載せ、わたしのもとに連れてきたこと」「わたしの宝」であると言われます。しかし、その前に「今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら」と言われます。あなたたちは神の民なのだから、そのように生きるもの、何より「祭司の王国、聖なる国民」として生きるように召されているのだと言われるのです。【聖書】Ⅰペテロ2:9-10
2016年5月1日 出エジプト18:1-12(18章)「何を、どのように聞くか」

久しぶりの夫婦の再会、また親子の再会が描かれます。モーセは舅イテロに「すべての困難」と「主が彼らを救い出された次第」を語ります。すると、イテロは、神様への信仰告白をします。私たちも、主の証をするという事はとても大切なことです。さて、イテロは、モーセが民をさばいている姿を見て、その働きを他の人にゆだねることを助言し、モーセはその助言に耳を傾けました。神様の前に立ち、御言葉に聞き、働きを分かち合う。今の私たちも聞くべき助言ではないでしょうか【聖書】ローマ10:14、Ⅰコリ12章
2016年4月24日 ルカ8:26-39「人生が変わった男」 合同礼拝

イエス様がゲラサという場所に着いたときに、一人の男が近づいてきました。彼は洋服も着ておらず、お墓に住んでいました。彼は悪霊に苦しめられていました。その姿は自暴自棄で、自分ではどうすることもできない状態でした。イエス様は名を尋ねました。それはその人がその人でない状態であること、そして、そうさせている悪霊を明らかにするためでした。イエス様は沢山の豚という犠牲を払って、この一人の人を救い出し、新しい人生を与えられました。【聖書】ヨハネ3:16
2016年4月17日 出エジプト17:8-13(17章)「祈りの手を支えよう」 

イスラエルの民は今度は飲み水のことを主につぶやきます。すると神様は岩から水を与えられました。後のパウロはこの岩をイエス様に重ねます。十字架によって打たれたそのお方によって、私たちはいのちの水をいただくという真理の型となるのです。さらに、後半部分は祈りの手を上げるモーセの姿を見ます。そして何より、そのとりなしの祈りをするモーセを支える二人の姿の中に、私たちも支えられている存在、祈られている存在、祈りの手をささえられていることを覚えるのです。【聖書】Ⅰコリ10:4、ヨハ7:37-38、エペ6:13-18、(ルカ22:32、ロマ8:26)
2016年4月10日 出エジプト16:35-36(16章)「これは何だろう」  

皆さんはどんな時につぶやくことがあるでしょうか。つぶやくとは、ある辞書では、「小声でひとりごとを言う」とありますが、その小声が、他の人にも聞かせたい文句や不平を言ったりする時にも、つぶやくという言葉が使われることがあります。イスラエルの民は神様につぶやきました。そのつぶやきを神様は受け止めて、民の願いを聞かれ、神様は、うずらと不思議な食べ物、マナをもってイスラエルの民を養いました。私たちはつぶやくのではなく、神様に信頼して祈りましょう。そして神様は私たちを確かに養ってくださることに期待しましょう。【聖書】ヨハネ6:32-35
2016年4月3日 教団の聖会のためDVDを使ってのメッセージ