第一サムエル記

サムエル記
イスラエルの民は、エジプト脱出、荒野の旅、約束の地に入国の後、それぞれの部族単位で行動し、その時々に士師が立てられました。そのようなイスラエルの民に大きな変化が起きたことが記録されているのがサムエル記です。ここから王制が始まります。そのことは、イスラエルを導いてこられた神を王とすることを拒むことでもありましたが、神様はそのことを許されました。この書物は、最後の士師であり、最初の預言者ともいえるサムエルが記録したものが後にまとめられたと考えられます。その概要は、サムエルの誕生、王制の始まり、初代サウル王の治世までが「第一」、そしてダビデの活動を中心に、ダビデ王の治世、ソロモン王の即位までが「第二」に記録されています。私たちは、この書物を通して、真の王が神であること、またダビデ王の系図に生まれる救い主イエス様、そして神に従うということ、神のことばにどのように応答すべきかを思いを巡らしてまいりましょう。

第一サムエル記 1章
この章にはサムエルの誕生の経緯が記録されています。エフライム出身のエルカナの妻ハンナには長い間、子どもが与えられませんでした(1-8)。エルカナの家族は、毎年、いけにえをささげるためにシロに上っていましたが、ハンナはいつにも増して心を注いで神に祈りをささげました(9-11)。そんな姿を見た祭司エリは、彼女に声をかけ、事情を聴き、その祈りが願ったようになるように、と彼女に語りました(12-19)。その願いの通り、ハンナは身ごもり、次の年に子どもが与えられ、名をサムエルとつけます。そしてサムエルが二、三歳の乳離れの頃に、ハンナは主に誓った通りに、主の宮で奉仕するものとして、サムエルを主にささげました(20-28)。私たちはハンナのように主に期待して、大胆に、熱心に祈りをささげているでしょうか。後に偉大な預言者となるサムエルは祈りの中に誕生しました。またハンナのように主の前に約束したことを誠実に果たしてまいりましょう。

第一サムエル記 2章
ハンナは、あなたのような方は他になく(1-3)、弱いものを助け、すべ治め(6-8)、正しいさばきをなされるお方(9-11)と主に祈ります。それに対して、祭司エリの息子たちは腐敗しており、捧げられた肉を定めに従って取り扱わず、自分勝手に搾取し(12-17)、父エリの叱責に全く耳を貸そうとせず宮に仕える女たちと不品行を重ね、主の前に罪を犯し続けました(22-25)。それに対して、サムエルは、両親の愛にも育まれ、ますます主の前に成長しました。また両親エルカナとハンナ夫婦には多くの子どもが与えられました(18-21,26)。そして、ついに神の人によってエリの家族に対する厳しい宣告が下ります。主の祭司としてレビ族という特権の内に召されたにもかかわらず、主よりも息子を重んじたゆえに、彼の一族の子孫は長寿を全うすることができず、二人の息子も死ぬと語られます(27-36)。神の前に罪を放置し続けることを私たちは恐れなければなりません。

第一サムエル記 3章
当時の状況について「主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった」(1)とあります。そのような霊的停滞の中にあって、主はサムエルを呼ばれます(1-9)。最初は祭司エリも、サムエルもその状況を理解できませんでした。四度目にサムエルは主に答えます。「お話しください。しもべは聞いております」(10)。するとサムエルに対して主はエリの家に起ころうとしていることを告げます。それは、祭司エリの息子たちの罪、それに対するエリの姿勢、それゆえにエリの家に対するさばきの宣告でした(10-14)。サムエルはこのことを祭司エリに告げることを恐れます。しかし、エリに促され、伝え、エリはそのことを受け止めます(15-18)。その後、サムエルは、ますます主の目にかなうものとして成長し、ダンからベエル・シェバまで、北から南に至るまでイスラエル全土で預言者として知られるようになりました。私たちは主の声を聞く備えをいつもしているでしょうか。

第一サムエル記 4章
この時代、イスラエルの最大の敵は地中海岸に勢力をのばしていたペリシテ人でした。この民族との戦いは、この後もしばらく続きます。エベン・エゼルとアフェクで対峙した戦いはイスラエルの惨敗に終わります。そこでイスラエルの民は「主の箱」を持ってくれば勝てるだろうと、シロから祭司エリの息子ホフニとピネハスを伴って陣営に運び入れます。最初、ペリシテ人は、そのことに恐れをいだきますが、むしろ奮い立って、結果的に圧倒的な勝利を得ます(1-11)。主の箱が奪われ、その上、二人の息子の死の知らせを聞き、高齢だった祭司エリは失意のあまり、倒れ、そして死にます(12-18)。そんな中で、ピネハスの妻は子を生みますが、気力を失い、その子に「栄光はいずこへ」と名付けます(19-22)。まさに主が去ってしまったような現状でした。なぜ、このようなことが起きたのでしょうか。どこに原因があったのでしょうか。私たちも問題の本質を絶えず、見つめ直しましょう。

第一サムエル記 5章
主の箱を奪ったペリシテ人はそれを地中海岸沿いのペリシテの町アシュドデに運び、偶像ダゴンの神殿に安置します。ダゴンを魚と結びつける見解もありますが、穀物の神と考えられ、古くはメソポタミア、北シリアで信仰され、バアルの父と言われる記録も残されている偶像です。さて、そのダゴンの偶像が主の箱の前にひれ伏すように、さらには、無力に打ち壊されるということが起こります(1-5)。さらに主の手がアシュドデの人々に腫物として重くのしかかりました。そこでペリシテの五大都市の領主たちは、ダゴン神殿のない内陸のペリシテの町ガテに主の箱を移します。ところがそこでも主の手が重くのしかかり、さらに近くのペリシテの町エクロンに移します。そこでも主のさばきが非常に重く人々にのしかかりました。ペリシテの人々は非常に主を恐れ、神の箱を元あったイスラエルのシロに返すように願いました(6-12)。主は生ける神であり偶像の神々をはるかに超えたお方です。

第一サムエル記 6章
ペリシテの領主たちは彼らの祭司と占い師を呼び出し、神の箱をイスラエルに送り返す方法を検討させます。そこで特別に用意した雌牛と荷台に神の箱を乗せ、償いとして、ペリシテの五つの町に合わせ、腫物に見立てた五つの金のねずみの像を作ります。ねずみに関連した疫病だったのかもしれません(1-9)。雌牛は、子牛の方には向かわず、エクロンから東に約十一キロのベテ・シェメシュに真直ぐに向かいました(10-12)。五、六月、小麦の刈り入れに出ていたベテ・シェメシュの人々は神の箱を見て喜び、その町にいたレビ人が全焼のいけにえをささげました(13-16)。ところが、町のある者たちは興味本位か、軽々しく神の箱を覗いたことにより、主のさばきが町に下ります。そのことを恐れた町の人々は、そこから北東に十四キロほどのキルヤテ・エアリムに主の箱を運び上るように要請しました(17-21)。私たちは主を軽々しく考えてはなりません。主を恐れなければなりません。

第一サムエル記 7章
神の箱はエルサレムから西に十一キロほどのキルヤテ・エアリムに運び込まれ、アビナダブの家におかれ、二十年の時が経ちました(1-2)。引き続きペリシテ人の脅威の下にあって民は主を求め、それに対してサムエルは、異国の神々、豊穣多産の偶像アシュタロテ、嵐(雷)の偶像バアルを離れ、主に立ち返り、主にのみ仕えるように求めます(3-4)。サムエルがエルサレム近くのミツパに人々を集めるとペリシテ人が攻めてきます。主は雷鳴をもってペリシテ人を混乱させます。民は、その勝利を記念してエベン・エゼル(助けの石)と名付けた石を据えました(5-12)。サムエルが治めた期間、主の手がペリシテの上に臨み、主はイスラエルの民をペリシテ人から守り、町々を与えられました。サムエルは、ベテル、ギルガル、ミツパ、そして自宅のあるラマを巡回し、務めを果たしました(13-17)。主は偶像の神ではなく、生けるまことの神であり、助けてくださるお方です。

第一サムエル記 8章
この章はイスラエルに王制が敷かれていく様子が描かれます。祭司エリの息子たちがそうであったように、晩年を迎えたサムエルの息子たちも父の道に歩まない者たちとなっていました。サムエルは彼らをさばきつかさに任命し、祭司エリと同様の道をたどります(1-3)。そんな不安定な現状の中、長老たちは、エフライムの山地にあるラマ(ラマタイム・ツォフィム)に来て、他の国のように王を求めます。しかし、その本質は、主なる神こそが王であるイスラエルにとって、主を拒むことでした。主はその行く末を知りながらも、そのことを聞き入れます(4-9)。サムエルは、王がその権力によって民に徴兵、労役、納税などを強制することになると宣言します(10-18)。民はその宣言を聞いても、王を求め続けました(19-22)。私たちは他の人と同じ過ちを繰り返してしまいます。神に従うよりも、この世の方法や目に見えるものに安心を見出します。それはどんなことがあるでしょうか。

第一サムエル記 9章
この章はイスラエルの初代の王サウルが登場します。その名は「求められた者」という意味があり、ベニヤミン族に属し、有力な家庭に生まれ、容姿も立派な人物でした(1-2)。ある日、雌ろばが行方不明となり、父の命令に従って探しに出かけます。彼は信託を受ける予見者(後には信託を語ることが強調され預言者と呼ばれる)を訪ねて、祭壇のある高きところに向かいます。これがサムエルとの出会いとなりました(8-14)。一方、サムエルはすでに神様からサウルが訪ねてくることを告げられており、彼に王として油を注ぐように告げられます。サムエルが雌ろばのことをサウルに告げると、彼は驚きつつ、謙遜に応えます(15-21)。サムエルは、もも肉など、最上のものでサウルをもてなしました(22-27)。神様のご計画は人の歩みの中に着実に進められます。最初は謙遜であったサウルがやがて変わっていく姿に、私たちもどのように年を重ねていくかを考えさせられます。

第一サムエル記 10章
サムエルはサウルに油を注ぎ、これから起こることを告げます。とりわけギブアで主の霊が下り、預言し、新しい人に変えられること、またギルガルではサムエルを待つようにと伝えられます(1-9)。実際、サウルはギブアで預言します(10-13)。またサウルの叔父は、サウルに事の次第を尋ねますが、サウルは王位のことは黙っていました(14-16)。そしていよいよ、サムエルはミツパに民を集め、神の意に反して王を求めたことを確認し、くじによって取り分けていくとサウルが示されます。しかし、サウルは恐れていたのか、身を隠していました(17-24)。サムエルは、王権の定めを確認します。ある人々は、サウルに対してあからさまに軽蔑する態度を取りましたが、サウルは黙ってそれを受け入れました(25-27)。サウルは恐れつつ、へりくだって、その職務を引き受けました。私たちも今ある責任を、主から与えられたものとしてへりくだって受け止めてまいりましょう。

第一サムエル記 11章
ヨルダン川の東、ガド部族の町ヤベシュ・ギルアデが、アンモン人によって攻められ、助けの知らせがギブアにも届きました(1-4)。サウルが、この知らせを聞いた時、再び、神の霊が臨み、彼の怒りは激しく燃え上がりました。彼は、イスラエル中に使者を送り、兵士たちを招集し、ヤベシュの人々を救うための行動を起こし、民も主を恐れて集まりました(5-10)。サウルは、兵を三組に分け、夜明けに攻撃を仕掛け、勝利を得ました。その勝利は、民がサウルを王として認めるに十分なものでありました。そして民のある者たちは、かつてサウルを愚弄したものをさばくように求めます。しかし、サウルは主が与えられた勝利であると、それを謙遜に思いとどまらせました(11-13)。そしてサウルは、ギルガルであらためて王としての宣言を受けました(14-15)。主の戦いであり、勝利は主のものですが、そこには人の行動が伴います。神の霊に導かれて、なすべきことは何でしょうか。

第一サムエル記 12章
サムエルが民に対して、要求通り王を立て、士師として責任を果たし、息子たちは民の一人として歩むと語った時、民はそれを認め、主が証人であると受け入れます(1-6)。サムエルは出エジプト、士師の時代と、主がいかに助けてくださったかを語ります(7-11)。にもかかわらず、アンモン人が攻めてきた時、あなたがたは主ではなく、王を求めましたた。しかし主はそれを受け入れました(12-13)。しかし、今後も大切なことは、王と民が主を恐れ、主に聞き従うことだと語りました。そして主はサムエルの求めに応じ、この時期にはまれな雷と雨をもって答えられました(14-18)。民が今更ながら悔い改め、とりなしを求めると、サムエルは、主に従うように、主は決して捨て去らないと語り、サムエルもとりなすことをやめないと約束しました(18-25)。私たちのとりなしの祈りをささげ続ける祭司の務めを確認し、また指導者の上に立つ主を恐れ、主に仕えることを覚えましょう。

第一サムエル記 13章
サウルの子ヨナタンがペリシテ人の守備隊長を打ち倒すと大勢のペリシテ人がミクマスに陣を敷きました。逃げ出す兵もいる中、サウルは残りの兵とギルガルにとどまりました(1-7)。サウルは主にいけにえをささげるため、例祭のために毎年ギルガルに来るサムエルを待ちました(10:8)。しかし、兵士が離れていこうとし、ペリシテの軍勢がいる中で、サムエルがいないことを見て、サウルは自分で何とかしなければと自らいけにえをささげました。そこにサムエルが到着します(8-12)。サムエルの叱責にサウルは自分の言い分を述べました。サムエルは主の命令に従いきれなかったサウルの王国は確立しないと語りました(13-15)。ペリシテ軍は三隊に分かれて略奪隊を送ります。時に、イスラエルには武器を作るための鍛冶屋もいませんでした(16-22)。武器もなく、兵も少なく、焦りもあったのでしょう。しかし、それは主の命令に聞き従わない理由にはなりませんでした。

第一サムエル記 14章
ヨナタンは、密かに、道具持ちとペリシテ軍の最前線に向かいました(1-5)。二人を見てペリシテ人は「上って来い」と叫びました。そのことは、主が彼らを自分たちに渡すしるしと理解してヨナタンは攻め、彼らを打ちました(6-15)。ペリシテ軍の混乱に乗じてサウルは進軍しました(16-23)。ところで兵士たちはサウルから断食の命令を受けて弱っていました。そのことを知らないヨナタンは蜂蜜を食べて力を得ました(24-30)。飢えた兵士たちの中からは、分捕った家畜の肉を、血を残したまま食べ、主に罪を犯す者が出てきました(31-35)。さらにサウルは進軍のために主に伺いますが、答えがなく、その理由はヨナタンにあることが示されます。ヨナタンは民のとりなしによって命を救われました(36-46)。サウルは周辺の敵を打ち、また多くの勇士を召し抱えました(47-52)。主の救いに期待して行動するヨナタンの姿と自分都合で民を悩ませるサウルの姿が描かれます。

第一サムエル記 15章
サムエルを通して、主はアマレクを討ち、すべてを聖絶するようにとサウルに命じられました(1-3)。サウルはケニ人への憐れみを示した上で、アマレク人を討ちました。しかし、アガグ王は生け捕りにし、また価値のある家畜は聖絶するのを惜しみました(4-9)。その態度に主は悔やみ、サムエルは怒りました(10-11)。サウルは勝利を喜び、ユダの町カルメルに記念碑を立て、その後、ギルガルでサムエルと会い、主のことばを守ったと報告します(12-13)。サムエルから問いかけに、サウルは兵が望んだことであり、主にいけにえをささげるためだったと言い訳します。サムエルは主が求めておられることは主の御声に聞き従うことであると告げ、王国が取り去られると告げます(14-23)。サウルは罪を認めながら、なんとか見逃し、面目を保ってほしいと願います(24-31)。サムエルは主とともに心を痛めました(32-35)。主が私たちに求めていることは聞き従うことです。

第一サムエル記 16章
主は新しい王としてベツレヘムのエッサイの子を選び、そのものに油を注ぐようにサムエルを遣わします(1-5)。サムエルはエッサイの子エリアブを見た時、この人こそその選ばれた人だと思いました。しかし、主は心を見ると言われました(6-7)。結局、エッサイが連れて来た七人の子たちの中には、主が選ばれたものはおらず、主が油を注ぐように言われたのは、その時、羊の番に出されていたダビデでした。そしてダビデの上に主の霊が降りました(8-13)。主の霊がサウルを離れ、サウルはわざわいの霊によりおびえるようになりました(14)。彼は王位を失うことなどの不安、不信、恐れが心を支配したのでしょう。彼の家来たちは、王の心を落ち着かせるため、竪琴を上手に奏でることのできるダビデを召し入れ、彼は王の道具持ちとなりました(15-23)。主はうわべではなく心を見抜かれるお方です。心騒ぐとき、主の霊が心を支配してくださるように祈りましょう。

第一サムエル記 17章
ペリシテ人とイスラエルはエラの谷と呼ばれる辺りで対峙していました。時に、ガテの生まれで、巨漢の上、強力な武具を身につけた代表選士ゴリヤテが一騎打ちを申し込んできました(1-11)。ダビデは父から戦いに出ている兄たちの陣中見舞いを頼まれます。そこで彼はゴリヤテが神を侮ることばを耳にします(12-30)。ダビデは主がともにいてくださるのでこのペリシテ人の手からも助けてくださるとサウル王に告げ、慣れない武具は用いず、羊飼いに使う杖と投石のための石をもってゴリヤテに向かいました(31-40)。ゴリヤテはダビデをさげすみますが、ダビデは万軍の主の御名によって一つの石でこのペリシテ人を討ちました(41-51)。ペリシテ軍はこれによって敗走し、イスラエル人はペリシテの領地まで彼らを追撃しました(52-54)。そして、ダビデは王の前に立ちました(55-58)。大きな壁が立ちはだかっても主がともにおられ、主の御名によって勝利を得ましょう。

第一サムエル記 18章
ゴリヤテを倒したダビデは、サウル王に戦士として取り立てられました。サウルの息子ヨナタンはダビデに戦士のいのちともいえる武具を与え、深い友情を結びました(1-5)。ダビデがいたるところで主にあって勝利をおさめ、人々がダビデを賞賛するにつけサウルは不安を募らせ、敵意を増幅させます(6-9)。サウルは精神が錯乱した時には直接ダビデを殺そうとし、また間接的に彼を殺そうと策略を巡らしました(10-19)。彼にとっては娘たちもダビデをおとしめる道具に過ぎず、ダビデを愛していた娘のミカルとの結婚を使って、ダビデをペリシテ人のもとに送り、彼らによってダビデを殺そうと企みました。しかし、ダビデは王の依頼を成し遂げ、王の婿として迎えられることになりました。サウルは主がダビデとともにおられることを見てますます恐れ、またダビデの名声はますます大きくなっていきました(20-30)。人の悪しき謀り事さえも、主は良い計らいとされます。

第一サムエル記 19章
サウル王は公然とダビデを殺すことを家来たちや息子に告げました。ダビデを心からの友とし愛していたヨナタンは父サウルを説得し、何とかその願いは聞かれました(1-7)。しかしダビデがペリシテとの戦いで再び成果を上げると、サウルはわざわいをもたらす霊よってダビデへの悪い思いに支配され、ダビデを槍で殺そうとしました。ダビデはかろうじて家に帰りますが、サウルはダビデの家に使者を遣わし、彼をとらえ殺そうとします。しかし、妻ミカルがダビデを助けました(8-17)。ダビデはラマのサムエルのところに身を寄せますが、そこにもサウルの追っ手がやって来ます。ところが、神の霊が使者たちに臨み、彼らが預言するということが三度も繰り返され、ついにはサウル自らがやってきますが、彼もまた預言し、何もすることができませんでした(18-24)。復讐せず、忍耐するダビデを神様は様々な人々を用いて、助けられました。神様は助け手を遣わしてくださるお方です。

第一サムエル記 20章
ダビデは再び友ヨナタンのもとに向かい、自分のいのちがいかに危うい状況にあるかを伝えます(1-4)。新月祭に、ダビデは王と食卓をともにしますが、その場を欠席する事によってサウルの真意を確認してほしいとヨナタンに願います。ヨナタンは彼に真実を尽くす約束をします(5-11)。ヨナタンは主のみこころに従順で、主がダビデを祝福しておられることを認めていました。また二人の間には深い信頼がありました(12-17)。二人は合図を決め、以前隠れた場所で(Ⅰサムエル19:2)、ダビデは時を待ちました(18-24)。サウルは本性を表し、ヨナタンにさえ罵声を投げかけ殺そうとしました。ヨナタンは父がダビデを殺そうとしていることを認めざるを得ませんでした(25-34)。ヨナタンはダビデに合図を送り、二人は別れを悲しみつつ、子孫に至るまでの互いの約束を主の前に確認しました(35-42)。主の導きに従い、自分の都合でなく誠実に歩み、誓いを守る姿を覚えます。

第一サムエル記 21章
ダビデは主の御心を求め、エルサレム近くの祭司の町ノブに向かいました。祭司アヒメレクはただならぬ雰囲気を感じ取ります。ダビデは真実を語らず、食物と武器を求めました。そこには祭司だけが食べることのできる聖別されたパンとゴリヤテの剣があり、それを受け取りました。また、そこには主の前に引き止められて、エドム人ドエグがおり、そのことが後にわざわい(22章)をもたらします(1-9)。ダビデはノブを離れ、イスラエルの敵ペリシテの町ガテの王アキシュのもとに逃げ込みます。ダビデは気が変になったふりをして危機を何とか免れました(10-15)。偽りさえ用いながら逃げ回るダビデの姿は、主によって油注がれ、後にイスラエルの王となるべく人物からはほど遠く、何故の連続に見えます。信仰者の現実とはこんなものなのかと思えるような姿です。しかしそこでダビデは主を仰ぎ、主は彼を導き、訓練されました。今一度、詩篇三十四、五十六篇を味わいましょう。

第一サムエル記 22章
アドラムの洞穴に避難したダビデのもとに親族をはじめ様々な人々が集まって来ました(1-2)。ダビデはヨルダン川の東、先祖ルツの故郷モアブ人の地、そのミツパに住むモアブの王のもとに両親を委ね、自らは預言者ガドを通してユダの地、ハレテの森に向かいました(3-5)。サウルはなおもダビデ殺害の意に燃え、ヨナタンの件(18、20章)で兵を疑い、怒りをぶつけます。すると、ドエグが祭司アヒメレクの件(21章)を報告します(6-10)。サウルはアヒメレクを呼び出し、その弁明には耳をかさず祭服を着た祭司たちとその一族を皆殺しにしました(6-19)。唯一、アヒメレクの子エブヤタルは逃れてダビデのもとに身を寄せます。ダビデは嘆きつつ、彼を守ることを約束しました(20―23)。出口が見えず逃げ続けるダビデに、自分のゆえに起きた大虐殺は追い打ちをかけるように彼の心に重くのしかかったでしょう。人生のどん底にあって私たちは誰に目を向けるべきでしょうか。

第一サムエル記 23章
ダビデがペリシテの地にいた時、ユダの地のケイラがペリシテによって略奪にあっているとの報告を受け、ダビデは主に伺い、彼らを助け出すために行動し、勝利を得ました(1-6)。そのことがサウルの耳に入り、彼はチャンスとばかりに兵を招集しました(7-8)。主はダビデに、ケイラの民はあなたをサウルに引き渡すと語り、ダビデはふたたびサウルの手から逃れるために彷徨い続けました(9-14)。ヘブロンの南約十キロのジフの荒野のホレシュに逃れた時、ヨナタンはダビデのもとに来て、あなたは王になると主の御名で励ましました。ジフの人々はダビデのことをサウルに報告しました(15-23)。ダビデはヘブロンの南約十五キロのマオンに逃れ、そこにもサウルの手が迫りましたが、主は彼をサウルの手に渡されませんでした。その後、ダビデは死海近くのエン・ゲディに身を隠しました(24-29)。うまくいかないことが続くように見える中にも主の支えがあることを覚えます。

第一サムエル記 24章
サウル王はペリシテ人を追い払った後、ダビデが死海西岸のエン・ゲディの荒野にいるとの情報を得ました。サウルは精鋭を引き連れ、討伐に向かいます。サウルが用を足すために入った洞穴には、奥にダビデたちが隠れていました。部下は今こそ主が与えた機会だとダビデに進言しますが、ダビデは王の上着の裾を切るにとどめました。しかし、その行為にさえダビデは油注がれたものに対してあり得ないことをしたと心を痛めました(1-7)。用を終えて洞窟を後にしたサウルに対して、ダビデは自分には決して敵意などなく、自分はとるに足りないものだと伝えます(8-15)。サウルはその言葉に心を打たれ、自分の非を認め、主が自分のいのちを与える機会を与えながらダビデが良くしてくれたこと、主がイスラエルの王権をダビデに与えていること、それゆえサウル家の名を絶やさないようにと願い、そこを去っていきました(16-22)。とこまでも主にさばきを委ねるダビデの姿を覚えます。

第一サムエル記 25章
サムエルが死にます(1)。ナバルはユダの地カルメルで事業を行い、非常に裕福な男でした。彼は愚か者でしたが、彼の妻アビガイルは賢い妻でした。ダビデたちはユダの地を転々としながら、しかし、ユダの地に住む者たちを助け、守っていました。そのようなこともあって、ダビデはナバルに食料を求めますが、ナバルは嫌味を添えて申し出を突っぱねました(1-13)。その報告をアビガイルが聞いた時、彼女はすぐに沢山の食事を用意し、ダビデの元に向かい、夫の行動を詫びます。さらに、主があなたの手を汚すことのないように、私が遣わされたのだと説得しました(14-31)。ダビデはその言葉に耳を傾けました(32-35)。あとでナバルはそのことを聞いた時、気を失い、そのまま命を落としました。ダビデはアビガイルを妻として迎えました(36-44)。感情に走ったダビデの行動に神様が介入し、彼をとどめ、彼の手を汚すことをとどめられました。主のご介入に期待しましょう。

第一サムエル記 26章
サウル王のもとにダビデの居場所が告げられます。サウルは精鋭を連れてジフの荒野に向かいました。ダビデはそこに偵察隊を送り、サウル王の宿営を突き止めます(1-5)。ダビデは部下のアビシャイと共にサウルの幕営に入り、主による深い眠りの中にあったサウルのもとから、槍と水差しをもって出てきました。その時、アビシャイは、今こそサウルを打つ機会ですと勧めましたが、ダビデは油注がれたものに手を下すことを恐れ、ここでも(24章)主にさばきを委ねました(1-12)。ダビデはそこから離れて、軍団長アブネルに呼びつけ、王を守らなかったことを責めます(13-16)。そしてサウル王に再び、自分には敵意がなく、誰が私をこの地から追い出そうとしているのかと訴えます(17-20)。サウルは再び、タビデに間違いを告白しますが、二人は別の道を進みます。これが二人の別れとなりました(21-25)。神はその人の正しさと真実に応じて報いてくださるお方です。

第一サムエル記 27章
サウル王はまたもやダビデのいのちを狙います。ダビデはこのままでは、ユダの地に安住の地はないと考え、ペリシテの町ガテのアキシュ王のもとに身を寄せました。前回(21章)とは違い、何らかの契約か、傭兵となったのかもしれません。さすがのサウルもダビデ討伐をあきらめました(1-4)。ダビデは、異教的習慣を避ける目的もあり、ツィクラグ(ガテから南に30キロほど)の町に住みました。ダビデはそこからペリシテ南方の民を討ちます。その戦利品をアキシュに献上する際、ダビデはユダの地南方ネゲブに住む、自分たちの近親同族にあたる者たちを討ったと噓の報告をし、生きながらえました(5-12)。生きるためとはいえ、町を襲い、皆殺しにし、嘘の報告をする姿は、とても神に選ばれた人のようには見えません。ダビデにとって、この時は忍耐の期間、祈っても光が見えないような期間でした。皆さんにとって、今はどんな時ですか。そのような時を経験したことがありますか。

第一サムエル記 28章
ペリシテ人はイスラエルと戦うために、イズレエル平野のシュネムに集まり、サウル王は、さらにそこから南のギルボア山に陣を敷きました。ペリシテのアキシュ王はダビデに護衛を命じ、この事はダビデをさらに悩ませたことでしょう(1-2)。イスラエルでは、すでにサムエルが地上を去り、主はサウルに何によっても語られませんでした。そこで、サウルは敵陣を抜け、自らも禁じた霊媒師に伺いを立てました(3-8)。神は、霊媒女によって、サムエルが語ることを許され、サムエルはサウルに語りました。これまでも語られたように、あなたが主に聞き従わなかったゆえに、とりわけアマレクでの出来事(15章)を取り上げ、その不従順のゆえに、彼も彼の子たちも戦死することが語られました(9-19)。サウルは分かっていたこととはいえ、その御告げにショックを受け、その場を去りました(20-25)。最後まで自己都合で行動し続けたサウルの姿に私たちは何を学ぶべきでしょうか。

第一サムエル記 29章
いよいよサウル王率いるイスラエル軍とペリシテ軍の戦いが始まろうとしている中で、ペリシテ軍の首長たちはその隊列の中にダビデとその兵士たちがいるのを見て、アキシュに対し、一緒に戦う事への警戒心と不信感を訴えます。そして、ダビデたちを指定した場所ツィケラグに帰すように求めました(1-5)。アキシュはダビデへの信頼、あなたには非がないと語り、その上で納得してほしいと願います。その説得にダビデは仕方なく応じたふりをしますが、内心はどれほどホッとしたことでしょう。ダビデはそこに神様の導き、守りを覚えながら、帰路についたことでしょう(6-11)。ダビデは、アキシュからの申し出を断れず、同胞イスラエルとの戦いのために戦場に駆り出されました(28章)。しかし、そのアキシュから、今度は、結果的にイスラエルとの戦いを回避するように請われました。神様は周りの人々、状況に働きかけて、私たちを助け、導くことのできるお方です。

第一サムエル記 30章
ダビデたちがツィクラグに戻ると、町は南方に住むアマレク人に襲われ、家族は連れ去られていました。兵士たちは怒りをダビデに向けました(1-6)。ダビデは祭司エブヤタルを通して神に伺いを立て、追撃するように語られます。途中、疲労した一部の兵士たちを残し、ダビデたちは、アマレクに置き去りにされたエジプト人奴隷を道案内人としアマレクに追いつきます。そこで、ダビデたちは、お祭り騒ぎをしていた彼らを討ち、家族を取り戻し、戦利品を奪い返しました(7-20)。ベソル川まで戻ってきた時、意地の悪い者たちは一緒に行かなかった者たちに分け前などやる必要はないと言いましたが、ダビデは、このことは主による勝利なのだからともに分かち合うように語りました(21-25)。またダビデは、戦利品の一部をお世話になったユダのネゲブの町々に贈りました(26-31)。困難な中で、どう振舞うかが問われます。心の豊かさこそが大きな課題ではないでしょうか。

第一サムエル記 31章
サウル王が死に、一つの時代が終わります。サウル王率いるイスラエル軍は、有利と思われた山地で敗北します。サウル王はなぶり殺しにされることを恐れ、側近の道具持ちに自分を殺すように命じます。しかし、道具持ちはそれを恐れ、サウル王と同様に自ら命を絶ちました。こうして、ギルボア山で、サウル王と三人の息子は死に、そこから東の地はペリシテ軍に占領されました(1-7)。ペリシテ軍はサウルの首はダゴン神殿(Ⅰ歴10章)、サウルの武具はアシュタロテ神殿に奉納し、サウルの死体をヨルダン川の西五キロにあるベテ・シャンにさらしました。それを聞いたヨルダン川の東、ヤベシュ・ギルアデの民はかつての恩義に応えて(Ⅰサムエル11章)、サウルの死体を奪い返し、ヤベシュに葬りました(8-13)。自ら蒔いた種とはいえ、イスラエルの初代の王の寂しい最後です。私たちの最後はどのようなものでしょう。そのために、今をどのように生きるべきでしょうか。